日日火水木土土

「月月火水木金金」ではない
怠け者の絵日記、photo日記。

風の中

2007-05-02 | ひとりごと

先週の日曜日、孫娘と二人、
狭いわが家の庭で、1時間ほどを過ごした。
日差しはぽかぽかと暖かく、
ちょっと風は強かったが、
さわやかな空気が心地よかった。
孫娘は、風にそよぐ木をじっと見ていた。
樹木とお話のできる、
素敵な女の子になって欲しいものだ。

その後、親族が集い「お食い初め」なる祝い事を、
内々にひそやかに執り行った。

風をめぐって

2007-01-15 | ひとりごと

  風に寄せて        立原道造

  その三

 だれが この風景に 青い地平を
 のこさないほどに 無限だろうか しかし
 なぜ 僕らが あのはるかな空に 風よ
 おまへのように溶けて行ってはいけないのだろうか

 身をよこたえている 僕の上を
 おまえは 草の上を 吹く
 足どりで しゃべりながら
 すぎてゆく……そんなに気軽く どこへ?

 ああふたたびかえらないおまえが
 見おぼえがある! ぼくらのまわりに
 とりかこんでいる 自然のなかに

 おまえの気ままな唄の 消えるあたりは
 あこがれのうちに 僕らを誘ふとも どこへ
 いまは自らを棄てることが出来ようか?


まだ少女の面影の残ったOLだったころの妻は、この詩が好きだった。
最初の二節は諳んじていて、口ずさんでくれた。
全文は、わたしの持っていた文庫本の詩集で探して読んでくれた。
ちなみに、わたしと妻がはじめて行った修善寺への旅行のときの、
宿帳には「立原道夫 みち子」と署名した。


風と光と影の量をわたしは自らの獲てきた風景の三要素と考えてきたのでわたしの構成した思考の起点としていつもそれらの相対的な増減を用いねばならないと思った それゆえ時刻がくるとひとびとが追憶のうちに沈んでしまう習性を 影の圏の増大や 光の集積層の厚みの増加や 風の乾燥にともなう現在への執着の稀少化によって説明していたのである わたし自らにとっても追憶のうちにある孤独や悲しみはとりもなおさずわたしの存在の純化された象徴に外ならないと思われた
(吉本隆明「固有時との対話」)

そのころのわたしは吉本の硬質な言葉に魅かれていて、
この詩に習いすべての事柄を「風と光と影」で計量しようとしていた。
吉本隆明の詩集をそのころの妻に読ませたところ、
「立原道造の風は高原に吹いていて、
吉本隆明の風は都会のビル街を吹いているみたい」との感想を述べていた。


大好きだったはっぴいえんどのセカンドアルバムが
リリースされたのもそのころだ。
その題名が『風街ろまん』。
見開きジャケットいっぱいに描かれた路面電車のイラストは、
これまた大好きだった宮谷一彦。
ここにも風が吹いていた。

そして最後は、風使いの少女の物語、『風の谷のナウシカ』。
小さかった子供たちと飯田橋の今はなき佳作座に観にいった。
その後も、ビデオを手に入れてからは、何度となく観ることになった。

このような風への想いをさらにかきたてるように、
風に運ばれるようにしてやってきた初めての孫娘。
みんなが君の来るのを待っていたのだよ。
ようこそ!


風が運んできた

2007-01-12 | ひとりごと

嫁の出産予定日は過ぎてしまった7日の日、
冬とは思えないような強い風が吹いた。
息子たちに最終的な子どもの名前の候補を聞いて、
この風が運んできてくれるなと漠然と思った。
「この風が止んだら産まれるよ」
妻にはそう話していた。
翌日、風はほとんど止んだが、産まれなかった。
うーん、物語のようなことは起こらないか、と思った。
そうしたら、次の日の夕方に産まれてきた。
ちょっとずれてしまったが、孫が大きくなったら、
風が運んできてくれたんだよと話してやろうと思う。

息子はちょっとテレて、ぶっきらぼうだが、
出産と新しい家族の誕生を喜んでいる。
嫁は、産んだすぐのときは、疲れたようだったが、
すぐに元気になり、いつもの明るい笑顔に戻っていた。

彼らがいつまでも幸せでありますように。
大地の風が彼らを守ってくれますように。
「子どもは風の子」元気で健やかでありますように。

ディランとビートルズ

2007-01-08 | ひとりごと

もう一ヶ月半も前のことだが、
わたしの56回目の誕生日に
子どもたちがくれたプレゼントだ。

ビートルズのほうは、息子夫婦から。
彼らの結婚式はハワイであげ、
そのときに息子に勧められてウクレレを買ってきた。
レパートリーを増やすようにとのメッセージなのだろう。

ディランは、娘夫婦から。
昨年の彼らの結婚式で流れた
「Like a rolling stone」が懐かしい。

子どもたちからの心のこもったプレゼントだ。

わたしの感性はビートルズやディランを聴いていた頃から
あまり成長していないようだ。
別に、若ぶって言っているのではない。
このところ、いろいろな局面で、
若い頃に抱えていた問題点が、
いまだに未解決のままであることへの
自分への反省を込めてのことだ。



娘と試写会

2006-09-08 | ひとりごと

昨夜、娘がネットでゲットした試写会に行ってきた。
彼女と二人だけで出かけるのは久しぶりだ。
高校生と専門学校生のときに何度か出かけたことがあった。
オヤジ一人では浮いてしまうので行けないライブに、
連れて行ってもらったことが2度ほどあった。
クーラシェーカーとコーナーショップだったと思う。
「援助コンサート」などと馬鹿なことを言っていた。
それ以外にも、池袋のタワーレコードとか、
原宿あたりの若者が集うようなビルで
待ち合わせしたことがあったような気がする。
それ以降は、二人で出かけることなどなかった。

それで、肝心の映画は韓国の「チャーミング・ガール」。
地味だがいい映画だった。
ドラマとしての起伏がないためか、多少冗長の感は否めない。
娘は間断的に眠りながら鑑賞していたらしい。

写真は、この話とはまったく関係ない。
前日、松戸を歩いたときに気になった風景だ。

あじの活き造り

2006-07-23 | ひとりごと

好きな居酒屋メニューの一つだ。
店に備え付けられた水槽からすくって、
それを開いてくれる。
身を食べ終わると、頭と骨はから揚げにしてくれる。
二通りの味が楽しめて、しかも安い。

それが、昨夜のあじはやたらと元気だった。
普通でも、えらの辺りがヒクヒクと動いているが、
その動き方がハンパではなかった。
なんだか、心苦しい気がした。
そうしたら、大きな目であじは私に語りかけてきた。
「何をふやけたことを言っているのだ。
生きるということは、
ほかの生き物の死の上に成り立っているのじゃないか。
何をいまさら、食べられる私の姿を見てひるんでいるのだ。
そのような、センチメンタルな場面に惑わされることなく、
生のリアルな姿を十分に理解していたのではないか。
君の生は、多くの生き物の犠牲の上に成り立っているのだ。
それは、犠牲などという言葉で表現すること自体が、
物事の本質を見えなくさせているのだ。
センチメンタルな感情に支配されることなく、
しっかりと自分の生を全うさせればいいことさ」

ちょっと、軟弱になっている私は、
あじの大きな目に見つめられて、元気づけられてしまった。


結婚披露宴に流れるBob Dylan

2006-07-08 | ひとりごと

娘の結婚式が終わって2ヶ月近くたった。
ビデオができてきたり、アルバムができてきたりと、
何かと、あの日のことが思い出される。
そういったなか、私にとっていちばん印象深かったのは、
披露宴の効果音楽だ。
なかでも、いちばん印象深かったのは、
ウエディングケーキへの入刀のときに流れた
Bob Dylanの「Like a Rolling Stone」だった。

音楽愛好家の婿殿は、披露宴の音楽選曲に燃えていた。
the Beatles「All You Need Is Love」は、
映画「ラブ・アクチュアリー」の
結婚式の美しくも楽しい画面が思い浮かび、
映画好きでもある婿殿にでかしたと、
選曲表を見せてもらたときに言ったものだ。
そのすこし前ころから、 Bob Dylanに入れ込んでいた彼は、
Dylanの曲をぜひ入れたいのだが、何にしようか迷っていた。
何せDylanだから、歌詞が結婚式にちょっとというのが、彼の悩みの種だった。
私は、『Blond on Blond』の「I want you」をすすめたが、
彼は英語がかなり分かるので、
やはり式にそぐわない歌詞があるということだった。

それ以降、式の準備に追われ忙しそうにしていて、
選曲がどうなったのかの最終決定は聞いていなかった。
それが、式の直前になって、
「Like a Rolling Stone」を選んだことを聞かされた。
私はちょっと驚いた。
「人生、転がる石」と結婚披露宴にいいのか、と思ったのだ。
しかしそれが、当日会場で聞くと実に感動的だった。
若いころから大好きだったこの曲が、
娘の結婚式のウエディング・ケーキの入刀のときに流れている。
いや、なかなかいいものだ。
披露宴などという華やかな席はどうも苦手な私だが、
婿殿の選曲した音楽で、実に楽しく過ごすことができた。


と言ったところで、婿殿選曲による披露宴のセット・リスト。
新郎新婦入場/I Couldn't Live Without Your Love/Petula Clark
ケーキ入刀/Like a Rolling Stone/Bob Dylan
乾杯/ Wouldn't It Be Nice/Beach Boys
お色直し退場(1) Always Look on the Bright Side of Life/Monty Python
お色直し退場(2) Whispering/ウディアレンのサントラ
お色直し退場(3) I'll See You In My Dreams/ウディアレンのサントラ
お色直し退場(4) Begin The Begin /ウディアレンのサントラ
お色直し退場(5) Take The ' A' Train/ウディアレンのサントラ
お色直し入場(1) Here, There And Everywhere/Beatles
お色直し入場(2) Turn! Turn! Turn! /Byrds
子供達のプレゼント/smile around the face/four tet
サプライズプレゼント/If Dreams Come True/ウディアレンのサントラ
花束贈呈/Franklyn/Wonderlandのサントラ
お開き/All You Need Is Love/Beatles

電気女

2006-05-20 | ひとりごと

娘の部屋の電球はよく切れていた。
白熱灯が5個ついたものものだが、いつも1、2個は切れていることが多かった。
娘が家を出て1年強、今は娘の部屋は妻が使っている。
部屋に行ってもみると、いつも明るい。電球などほとんど切れないのだ。
これは、論理的な思考からするに、やはり娘に原因を求めるのが筋であろう。
たとえば、娘の体からは電磁波が出ているとか……。

そういえば、電気に関することで、娘にはもう一つおかしなことがある。
それは、TVの電波を感受する能力が、人よりも優れているのだ。
わが家のTVモニターは古くて安い。
それで、電源を入れ映像信号が出ていないときに、
ブルーの画面にならずに、黒い電源を切ったときと同じ状態になる。
ビデオ、今はDVDを観た後、先にデッキの電源を切ると、
TV側はVIDEO1のチャンネルになっているので、そのような状態になるのだ。
それで、TVモニターの電源切り忘れということが間々ある。
娘はその状態がなぜか分かるらしい。
よく、「ほら、また電源がきれてない!」などと叱られていたものだ。
やはり、電気を人とは違う方法で、
発したり感じ取ったりする不思議な力があるのだろう。
明るい元娘の部屋で、妻と話しながらそのような結論に達した。

その娘と、先週の日曜日久しぶりに腕を組んで歩く機会があった。
というか、手をつないだことはあったかもしれないが、
腕を組むなどはやったことないだろう。
バージンロードの約10歩ほどの短い距離だったが、
娘の電気にしびれることもなく、
無事にSくんに渡すことができた。
娘の体内電気の解明は、Sくんに任せることにする。
生涯の研究課題として。

サクマ式ドロップ

2006-05-02 | ひとりごと

先日、夜の上りJRの電車での話。
隣に座った女性は座るなり、
化粧水を取り出して、
顔に指先でペタペタト塗り始めた。
塗り方が異様な感じがして、
何とはなしに気になっていた。
それが終わり、バックに化粧水をしまうと、
今度は、ガラガラと大きな音を立てて、
缶を取り出すと中から何かを取り出して、口の中に入れた。
横に座っているので、まじまじと見るわけにはいかないが、
確かに聞き覚えのある音、あれはサクマ式ドロップと思い、
さりげなく眼をやると、やはりあの懐かしいサクマ式ドロップだった。

私が子どものころは、よくみんなが食べていた。
70年近くになるとほとんど見かけなくなった。
その後子どもが生まれたころ、
スーパーで見かけ懐かしくなって買った。
子どもたちと、くじを引くように取り出しては食べていた。
もちろんはずれは、はっかの白。
妻は、幼いころからはっかの白が好きだったらしい。
当たりは、何だったのだろうか。
ホワイトデーのお返しに、プレゼントしたこともあった。
そのサクマ式ドロップとの懐かしい出会いだった。


古い商業建物

2006-04-23 | ひとりごと


わが家のあたりは、最近にわかに住宅ラッシュに沸いている。
筑波エキスプレスができて、交通の便がよくなったせいなのだろう。
写真は、5軒の商店が入った長屋状の建物だ。
この端の部分だけに、赤くさびが付着している。



その横の面は、みごとにつたに支配されている。
このような古い建物も、いつ壊されてしまうのか分からない。
ここは、私たちが移り住んだ20数年前から建っているが、
店舗はある時期から、めまぐるしく変わっていった。
よく買っていたお茶屋さんは、無くなってからずいぶんたつし、
義母が、よく海苔巻きを買っていたおすし屋さんも無くなってしまった。



つたの生えた側面の下に置かれた牛乳の自動販売機は、
いつころから置かれていたのか、はっきりと覚えていない。
最初からあったものではないように思う。
しかし、私たちが移ってきたころには、
もうすでに、このような自動販売機は、
見かけなくなっていたように思う。