兵庫(車両🚃)工場 コーナー。
造船不況で坂出工場から兵庫工場に
転勤になりました。
二十歳の頃でした。
陸 海 空 会社の名残が有りました。
車両🚃のメーカーでは日本一大きな
会社でした。
私は丁稚の時代でした。
旧い工場でした。
初めて職場に来た時は これがと
思いました。
工場内では多くのレールが走り 国鉄までの線路が続いていました。
職場には大正生まれの人が多く居ました。
試験走行や点検出張にも有りました。
多くの装置を取り付けていました。
イエロードクターみたいでした。
試験走行では何故か電車マニアが
カメラを据えて待機していました。
ポートライナーにはゴムタイヤ車両で
静かに走っていました。
本職は機械加工でしたが古い機械ばかりでした。
お陰で腕が上がりました。
当時 新幹線なら一日一台の生産
ペースでした。
軽いのでアルミ材が多く使われました。
バイト(刃)は百や二百個が必要でした。
軸物・薄物 加工が多かったです。
ある日 バイクのブレーキディスク板が
大きく加工不良だったので古い機械で
千分の8まで修正しました。
先輩が良く出来たと褒めてくれました。
熟練工から戦艦大和の大砲の削り方を
教えて頂きました。
使う事は有りませんが、、
深い穴加工は切粉 処理が難しいです。
会社には熟練ライダーが居ました。
メグロ SG250で通勤されていました。
セルフモーターが付いていました。
雨の次の日には洗車していました。
会社のKGRCツーリングクラブが発足し
仲間が増えました。
バイク通勤が750でした。
課内に「荒木」さんにナナハンに乗っていると自慢しましたが 息子が8耐に出場していると逆に自慢されました、、。
雑誌で調べました「としはる」さんが
出てきてびっくり!!でした。
会社は狭いものですね。
同い年のバイク仲間の「大山」君には
恩が有ります。
当時 更衣室によく泥棒が有りました。
私が怪しいと思われていたそうです。
有る意味 有名人かも知れません?
「大山」君が泥棒を捕まえてくれました。
彼は海の子です。
また「松ゲン」さんがいました。
その部下が泥棒でした。
「松ゲン」さんは厳しいですが良い人でした。
元祖 カミナリ族だったそうです。
パンク修理の特許を取得をされていた
そうです。
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