旧ソ連地域の人たちは、親日であり、日本への強い憧れがあります。
とくに、第二次大戦後に世界の最貧国となり、
占領体制に置かれながらも、
短期間に驚異的な復興を遂げて、
経済大国に躍り出たことは、
共産体制の解体でボロボロになった旧ソ連・東欧諸国の
希望になっています。
旧ソ連地域の親日性を語る上で、「日本のシンドラー」と呼ばれる、
杉原千畝氏(すぎはらちうね)の名前を紹介したいと思います。
外交官だった杉原氏は、第二次大戦中、
リトアニアのカウナスにあった日本領事館で、
日本政府の意向に反しながらも、
独断で、
ユダヤ人にトランジットビザを発給して、
ナチス・ドイツによる迫害から
6000人ものユダヤ人を救った、
勇気と正義の日本人です。
1939年、杉原氏はカウナスの日本領事館領事代理に任命されました。
カウナスといえば、ユダヤ人に対するナチス・ドイツの
迫害拠点の一つ。
1940年7月に、ナチス・ドイツによるホロコーストの危機に瀕していたユダヤ人たちは、
日本を通過して逃げるために、
日本のビザを求めて、カウナスの領事館に詰めかけます。
オランダやフランスなど西欧地域でも
ナチスの占領が進んで行くなか、
ソ連を通過して日本経由でナチスの迫害が及ばない国に逃げる以外に
生き延びるすべはありませんでした。
杉原氏悩みました。
数人のビザなら領事の権限で発行できたが、
数千人のビザとなると日本政府の許可が必要だからです。
杉原氏は再三に渡って発給許可を請求しましたが、
日本政府はユダヤ人難民へのビザの発行を禁止したまま変わりませんでした。
やがて、ソ連からリトアニア併合に伴う日本領事館の閉鎖通告も厳しくなってきました。
もう時間がありません。
ユダヤ人の命が自分の判断にかかっています。
杉原氏は悩み抜きました。
結局、7月25日に杉原氏は、
外務省の命令に背いて、ビザを発行することを決断。
それから約1ヶ月間、
ソ連や本国からの再三の退去命令を受けながらも、
彼は寝食を忘れてビザを書き続けました。
途中でビザに貼り付ける印紙がなくなっても、
職権により、「出国のための領事特別許可証」を発行して、
こうしてソ連による自身への退去ギリギリまで、
ユダヤ人を出国させ続けました。
最終的に、6000人以上のユダヤ人の命が救われました。
救われたユダヤ人の末裔まで含めて、
何万、何十万人ものユダヤ人が救われたと考えているユダヤ人も多い。
杉原氏は、第二次大戦が終結するとソ連に拘束されて
1年間の収容所生活を送った後、
1947年4月に帰国。
外務省から命令違反を咎められ、
帰国から2ヶ月後に突然クビになり、
47歳で野に下ることになりました。
このような功績から、杉原氏の外国での、特にユダヤ人の間の評価は極めて高く、
1969年にイスラエル政府から勲章を授与されます。
さらに85年には日本人として初めてヤド・バシュム賞を授与されました。
「諸国民のなかの正義の人」とされる栄誉を受けました。
現在でもイェルサレムの丘に顕彰碑が残っています。
リトアニア・カウナスには、杉原記念館が建てられ、
杉原氏の偉業を讃えるまざまな展示があります。
杉原記念館につけられたプレートには、
リトアニア語と英語で杉原氏のことを
「ユダヤ人の救世主」
と記されています。
日本でも外務省の外交官資料館に、
「勇気ある人道的行為を行った外交官 杉原千畝氏を讃えて」
と記した杉原千畝顕彰碑がつくられました。(2000年に除幕式)
このような素晴らしいエピソードから、
杉原氏を通じて、
日本人に対して尊敬の念を抱く旧ソ連の人びとは多い。
小島一郎