【死後の生活】書籍「霊界散歩」から
(´▽`) お彼岸なので、頂いたメールをまとめて、資料用にUPして保存 ーーー
1【死後の生活】
●死後のことが分からなくなった現代人
現代人は、
この世に関してはかなり詳しく解明していますが、この世ならざる世界、
死後の世界に関しては、ある意味、昔の人の方がよく知っていたと言えます。
死後の世界については学校や塾では教わらないので、「あの世の世界など、
古代人の考えだ」と思い、知らないままで過ごしている人が多いのです。
その結果、様々な混乱が起きつつあるわけです。
本章では、「人間の死後の生活とはどういうものか」ということについて、
皆さんに分かる話をしてみたいと思います。
●睡眠中に魂は霊界へ行っている
肉体の中には、肉体とほぼ同じ形をした魂というものが入っています。
魂は、ぴったりと肉体に入ったままでもなく、夜の睡眠時には、時々
肉体から離れています。
夢の中では、空を飛ぶ夢、怖いものに追いかけられる夢など、異質な世界の
出来事を天然色で見ることがあります。
そういう場合は、たいてい、霊界に行っているのです。
すでに死んだ人と、生きて魂が抜け出した人との違いは、生きている人の
場合は、魂と肉体の間に、「霊子線」(魂の緒)というものがあることです。
霊子線は、英語では、「シルバー・コード」といい、魂と肉体を頭の部分で
つないでいるのです。普通は、寝ている時に魂がスッと抜けます。
霊子線は、魂が遠くまで行くと、ちょうどクモの糸のように
細くなり、不思議ですが、切れそうで切れず、もつれないのです。
シルバー・コードは、重なってもスッと通り抜けてしまい、見事にほどけて
スーッと伸びていくのです。
まことに不思議ですが、そういうものが魂と肉体をつないでいます。
2【死後の生活】
●睡眠中に行くあの世の世界…無幻境
魂は、睡眠時に霊界に行っていることがよくあります。
睡眠時に霊界に来ている人たちの多くは自覚的ではないため、夢遊病者のよう
に目をつぶり、ふわふわと歩いています。
中には、一定の所で活動している人もいます。
特定の人と夢の中で継続して何度も会う場合は、本当に向こうの世界で会って
いるのです。また、あの世でも同じ趣味を持っている人の所に行き、一緒に
遊んでいることもあります。
●あの世には、この世的な時間・空間がない
魂が肉体を抜け出してあの世に行っているのは、医学的にはレム睡眠と
いわれる状態の時です。
寝ている人の眼球がくるくると動いている状態の時に、夢を見ていると
言われていますが、その時に、よくあの世に行っています。
実際は、30分もたたずに帰ってきていることが多いのですが、
「あの世の世界には、この世的な意味での時間・空間がない」と
私がよく言っている通り、この世の時計では10分しかたっていなくても、
いろいろな経験をすると、何日もいたような気持ちになったりします。
そのように、あの世の時間は、この世的には計れないのです。
このようにして、人間は生きている内からときどき霊界へ行き、
あの世に還る練習をしています。
3【死後の生活】
●「あの世などない」と確信している人は死後どうなるか
この世に生きていた時に頑固な唯物論者で、
「あの世など絶対にない。人間には魂など絶対にない。
神も仏もない。宗教は人を騙しているだけだ。
この世のもの以外は絶対に信じられない」「死ねば、一切が終わりだ」
と確信的に思っている人は、死後どうなるでしょうか。
そういう人にも魂はあるので、死ぬとあの世に行くわけですが、この
タイプの人は、あの世の世界を認識することができません。
そういう人は、あの世で蝋細工人形のようになり、ほとんど
寝たままの状態になっています。
徹底した唯物論者などは、「無意識界」という所で、繭の中で
寝ているような無意識状態のまま、何も活動しないでいます。
彼らは、「あの世の世界はなく、死によって全てが終わった」
と思っているので、意識を開くことができません。
そして、何十年、あるいは百年ぐらいたつ間に、何となく目が覚めてくる感じ
になります。
時間はかかりますが、霊界の人がゆっくりと手ほどきをして、あの世の経験を
積ませていきます。
あの世にも学校があるので、彼らはあの世の学校に収容され、再教育
されるのです。
4【死後の生活】
●本人の魂が肉体を支配できなくなる完全憑依(ひょうい)
地獄界において、「何かを破壊しようとしても、肉体がないため、実質的な
行動ができない」ということに気がついて困っていると、地獄界の先輩が、
「地上界で生きている人間に取りつくと、その人と同じような気持ちが味わえる」
と、そそのかします。
あの世の食べ物は、食べてもおなかが一杯になりません。
しかし、この世の飲食街などへ行くと、飲んだり食べたりしている人の中で、
自分が入れそうな、自分によく似た人を探してその人に取りつけば、自分も
同じようなことを感じるのです。
肉体の中に入ると、酒や食べ物の感じ、舌触りが分かり「これはやめられないな」
と思うのです。
この時に、取りつかれた人の魂は、霊子線はつながっていても、肉体の外へ
ポンと蹴り出されて、肉体の外でおろおろしています。
そして、その人の肉体の中に別の霊が入って、威張っているわけです。
地獄霊はこの世に生まれることはできないので、憑依(ひょうい)によって、
この世に生まれた気分、新しい肉体を持った気分を味わうのです。
夜、酒を飲むと理性が麻痺し、悪霊が入りやすくなります。
悪いことを大勢でやっているような時は入りやすいのです。
毎日のように憑依され、次第に完全憑依の状態になってくると、悪霊が居座り、
本人の魂がほとんど肉体を支配できなくなってきます。
犯罪を犯した人の中には、自分が犯罪を犯したことを全然覚えていない人が
います。そういう人は、実際に魂が肉体から抜けて、他のものに肉体を占領
されているのです。
憑依されている時に人殺しや泥棒、万引き、いろいろな悪さをするわけですが
事が終われば憑依霊が抜けて、本人の魂が戻ってきます。
やがて気がつくと裁判所にいて、「あなたはこんなことをした」と言われ、
「私はそんなことをした覚えはない」と答えます。
実は、その犯罪行為の時に憑依霊が入り、それを行い終えて逃げたわけです。
5【死後の生活】
●なぜ地獄界があるのか
昔から、「なぜ地獄界があるのか。神様はなぜ地獄をそのまま
置いておくのか」という問いがあります。
ただ、霊界全体を50階建ての高層ビルにたとえると、地獄界は、そのビルの
地下の部分でしかありません。地下は5階ぐらい、地上は50階もあるのです。
霊界全体を見れば、天上界の部分が圧倒的に多く、バランスを取るために
“地面の下”の部分が少しある、という感じなのです。
これは結局、「仏の子、神の子としての修行に不合格がありうる」という
こと。「地獄から天国に上がるためには、仏の子、神の子として、最低
ここまではできなければいけない」というものがあります。
この部分があることで、お互いに磨き合う面もあり、地獄があることによって、
反省の心が生じ、間違いを学ぶのです。
●天上界に上がるには信仰が必要
天国にも段階があります。霊界は、完全に信仰の偏差値による輪切りの世界に
なっています。霊界には、四次元、五次元、六次元と、幾つもの次元があり
ますが、それぞれの次元も、大きくは三段階ぐらいに分かれ、さらに細かく
分かれています。これは信仰のレベルによって分かれているのです。
地獄界は、基本的に信仰心がない人たちの世界です。そこには、仏神を信じて
いない人たちや、生前、宗教心があるように装っていたけれども、
実は偽善者で、本当は信じていなかった人たちがいます。
地獄界には寺院もあれば教会もあります。思想的に間違った牧師や神父、
僧侶が地獄界の浅い所で宗教施設を持って活動しています。
そこに偽善者たちが集まって説教を聴き、信仰生活を送っているつもり
でいます。
天上界に上がるには、まず、信仰が必要です。「人間は霊的存在である。
霊界こそが本当の世界であり、地上は仮の世界である」という、信仰の原始的
形態がなければ天国に入れないのです。
まずは信じること。その次に、行いはどうか、行いは信仰と一致しているか、
ということが問われ、行いと信仰が一致してくると、だんだん上の世界に
上がっていくのです。
6【死後の生活】
●上の次元では「愛」と「真理」が同じになる
上の次元に上がっていくと、次第に「愛と慈悲」が強くなってきて、世のため
人のために自分を捨てて働く人の方が多くなってきます。
真理に則って生きていくことが、愛の実践や慈悲の実践と同じことになって
いるのです。
では、地獄界の人たちはどうでしょう。
彼らは自分のことしか考えていません。自分のことしか考えていない人が、
自分に最も不利な生き方をしているのです。自分のことを考えた人が地獄に行き、
他の人のことを考えた人が天国に行っているのです。
地獄から抜け出したかったら、自分の心一つを変えればよいのです。
そのためには、幸福の科学で説かれている、「奪う愛から与える愛へ」
「信仰の大切さ」「他の人を大切にする」「霊界の存在を信じる」などと
いうことを知らなければいけないのです。
●天使になれるような心を
霊界においては、動機と行いが全て判定されます。生前、自分の心のうちを
分からなかった人たちは、死後に大変なことになります。
そういう人たちに死んでから真理を教えるのは大変です。少なくとも、唯物論者
に対しては、早く真理を教えなければいけません。
また、間違った考え方や思想を持っている人たちも救わなければいけません。
そういう人に、できればこの世にいる間に、天上界に入る準備をしていただき
たいのです。
そのためには、天使になれるような心を押し広めることが必要なのです。
7【あの世への旅立ち】
●いつ死んでもいいような気持ちで生きる
釈尊は、「この世は無常の世界である。
いつ去ったとしても悔いのない生き方をしなさい。
この世に対する執着を捨てなさい」と繰り返し説いていました。
「生への執着が死後の世界への移行を妨げる」ということを、これほど
明確に説いた教えが、はたして仏教以外の宗教にあったでしょうか。
釈尊の時代から2500年たった現在でも、いろいろな人々が生き、
死んでいく姿を見てみると、
「まさしく、この世への執着が問題なのだ」ということがよく分かります。
「この世への執着を断って、安らぎの世界に入る」という心の修行をして
いれば、涅槃の世界に入れます。
この世以外の世界の存在を信じることができず、この世以外の世界が
あったら困る人がいたならば、「地獄に行くのは、あなたです」と
いうことです。
「あの世があっても困らない」と思う人は、だいたい正しく生きていると
言ってよいでしょう。
ただ、死後、霊的世界に入ってから修行をするよりも、肉体を持っている
三次元物質世界で霊的世界についての悟りを持つことの方が、魂的には
はるかに尊いのです。
「この世に生きている間に、目に見えないものを信じ、真理を体得して生きる」
ということが、今世の修行の中で得られる珠玉の教訓です。
8【あの世への旅立ち】
●先祖の霊を供養するには
先祖供養には、なかなか厳しい面があります。
先祖の霊が地獄でもがき苦しんでいる時に、地上の子孫が仏壇などの前で
一生懸命に先祖供養をすると、先祖は自分を助けるための白い縄が
上からするすると下りてきたように感じます。
それをつかんで手繰ると、上がることができ、子孫の所に出てきます。
その際、子孫の側に、先祖を供養して成仏させる力があれば、先祖は救われ
ますが、その力がないと、子孫が逆に引っ張り込まれることも多々あります。
そのため、先祖供養はしっかりと真理を勉強した上で行っていただきたいのです。
死んだ人が霊界についての知識を持っていないと、説法を聴いても
法話の内容をすんなりとは理解できません。
したがって、先祖供養の際には、子孫が、亡くなった人のレベルに合わせて、
私の説いている教えの一部を噛み砕き、その人に分かるようなかたちで伝えて
あげることが大事です。
先祖供養をしている内に、自分の方が体が重くなったり調子が悪くなるよう
なら、力不足なのです。その場合には幸福の科学の精舎や支部で供養をした方が
よいでしょう。個人では、そう簡単には地獄霊に勝てません。
死は、人間にとって、一大事です。真理を知らない人にとって、
死んだ時には本当にびっくり仰天し、突如、落下して大慌てしている状態
になります。
そういう人を供養するには少し時間がかかり、そう簡単にはいきません。
まず、生きている人の方ができるだけ悟りの力を強くしていくことが大切です。
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このコトワザは真理だったのですね