聖書と共に

ステパノの死

今日は使徒行伝6~7章で、ステパノの死に
ついてです。

 弟子たちが、多くなると、色々と不都合が
出てきます。彼らは共同生活をしていました
が、食事にありつけない人々が出てきます。
そこで使徒達は、聖霊と知恵に満ちた人、
7人を信徒の中から選抜し、日常の業務に
当たらせます。

その中の一人がステパノです。
ある日、ステパノが、海外から来たユダヤ人
と論争します。しかし、ステパノを論破出来
ません。そこで彼らは、ある人々をそそのか
して、
「我らはステパノがモーセの律法と神殿を汚
す事を聞いた」と言い、ステパノを捕らえ、
民、長老、学者らを煽動し、議会に曳きたて
ます。

ペテロの時と異なり、律法の事になると急進
的なパリサイ人が出てきます。

ステパノの長い演説が始まります。
ここから、「静まりと黙想の朝に」からです。

ステパノは
「神は全地の主であり、どこにいても神は恵
みを下さる方である。例として、アブラハム
はメソポタミアで栄光の主に出会った。
ヨセフはエジプトに奴隷として売られたが、
『神が共にいます』経験をもった。神は、
どこにでも働いておられると語った」

この様な発言はパレスチナを聖地化したユダ
ヤ人には聞くに耐えない言葉であった。

「モーセを救ったのはエジプト王の娘である
。モーセは、十戒という律法を民に与えた。
その様な大切なものが与えられても、人々は
、その後、直ぐに偶像を拝み(姦淫の罪)、
律法を破った。その様な事が繰り返されたで
ないか。」
この様に民の罪を指摘したのである。これは
ユダヤ人の心を怒らせた。

ステパノは最後に最も鋭い指摘をした。
「神は神殿の様な狭い場所に、閉じ込められ
る様なお方ではない。ある場所を聖地化する
のは間違いである。この神殿を敬って、神の
与えて下さった指導者や預言者を殺し、
主イエスをも殺した。これは何よりも、
ひどい罪である。」

「うなじを固くする、心と耳に割礼を受けて
いない人達。あなた方は、いつも聖霊に逆ら
う。」

人々はこれらの言葉を聞き、怒りに満ち
ステパノに向かい、石を投げます。
この殺害現場にパウロもいました。

  ***********

十戒、律法を人間は守れない。
神と人への愛があれば、律法を守れる。
このために主イエスは来られ、完全な愛を
示された。私達も、彼を信じる信仰により
聖霊によってイエスにならう者とされる。



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