聖書と共に

教会への迫害と拡散

今日はバックyストンの「使途行伝講義上」
からです。

神様は、もう一度、イスラエルの人々に明確
な証しを示されましたが、彼らは拒みました
。今、このステパノの証しは、その最後の
ものでした。けれども、彼らは、これを拒み
神様は、彼らをお捨てになりました。

これより後、神様はイスラエル全体に、証し
下さる事はありません。逆に、少しずつ
滅亡が彼らに近づいて行きました(日本は?)

聖霊に満たされた青年が死にました。これは
犬死にだったのでしょうか。いいえ、決して
そうではありません。サウロ(後のパウロ)は
、この日に見聞きした事で、後で悔い改めに
導かれたと思います。

 その日、エルサレムにある教会に対して
大きな迫害が起こり、使徒たち以外は皆、
ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
            (使途行伝8ー1)

これは、神様の恵みと神の導きでした。
神様は信者たちを、あちこちに福音を伝える
為に遣わそうとなさいました。
「散らされた人たちは、みことばを伝ながら
巡り歩いた。」
これは丁度、苗代を作る様なものです。初め
に稲の苗を小さな所で作り、ある程度できて
から、それを分けて広い所に植え付けます。
わずかな苗でも、広い所に出て豊かな収穫を
結びます。

神様も、初めはエルサレムの狭い所で信者を
作りましたが、迫害によって、摂理のうちに
彼らを広い所に押し出し、そこで多くの収穫
を結ばせたのです。

サウロは、その時、どうだったでしょうか。
ステパノから霊の光に照らされた旧約聖書
の講義を聴き、ステパノの顔に神様の栄光を
認めました。しかし、サウロは悔い改めず、
心を頑なにし迫害を続けました。

「サウロは家に押し入り、教会を荒らし、
男も女も引きずり出し、牢に入れた。」
後にも、この人は、家々に入りますが、
その時は、人々を救いに導く為でした。

サウロは、今、まいた種にしたがって後に
刈り入れをします。
「ムチ打たれた事は、はるかに多く」
サウロはキリスト者をムチ打ちましたが後に
自分もムチ打たれる事になります。
「死に直面した事も、たびたびでした。」
サウロはキリスト者を死に導きましたが後に
自分がたびたび、死に直面しました。」
「石で打たれた」
彼は、先にステパノを石で撃ち殺す事に賛成
していましたが、後に、自分が石で撃たれる
事になりました。

  ***********
バックストン著作集、第9「使途行伝講義上」
の巻末に、村上宣道先生の解説文があります

「バックストン先生から教えられる事」

私はバックストン先生の著作を良く読みます
が、それらをただ、説教や、聖書講義として
読んでいるのではなく、いつも、そこから
神様の語りかけが聞こえて来るという、
不思議な経験をしている様な気がします。

他の聖書の注解書や解説書を読むのとは、
全く違うのです。聖なる臨在の中でバックストン
先生が神様と交わりを持ち、そこから与えら
れた霊の恵みを、聖書全体から見た解釈と
して語っているからです。

先生の著作は「読む」というよりも「聞こえ
てくる」という感じがするわけです。
神様の語りかけとして私に聞こえて来る、と
いう印象なのです。







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