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石ころ

お重も詰めて、ほっこり

 ただいまやっとお重に詰め終わってほっと一息。
この数日は隣組の仕事や、掃除に買い物、おせち作りに大忙しで歩く間もなく、そのことにはちょっと不満だけど、お正月になったらゆっくり歩けると今はがまん。
でも、今年は忙しくてもイライラすることもなく、家族で機嫌良く助け合って過ごすことが出来た。

 心配をしていた次男も27日には会社から帰って来た。元気な足音を立てて機嫌良く廊下から入ってきたその姿を見て心から主に感謝をする。1ヶ月ぶりだからちょっと新鮮。ここのところ仕事は本当に大変だったけれど、お正月の出勤はなく、ゆっくりとできるとの~んびりリラックスの日々。

 おせちはいつものように棒鱈以外は手作り。今年は冷凍の剥き栗があったので、栗きんとんも作る。冷凍の匂いが心配だったけれど、さっと茹でて使ったから大丈夫だった。今頃になるとさつまいもも甘くなっている。黒豆は特に美味くできたと自画自賛。さくらちゃんにはまた、「自分で作って自分でほめているの。」と言われるかな・・いやいや食べたら納得してくれるかも・・。まあこれは、ただ単にストーブの上で火加減が最適だったということなんだけど・・。

 夕食には、身欠きニシンをゆっくりと戻して煮たニシンそば。それから、ご近所のご主人が釣って来られた、焼きたてのとっても大きな鯛。これは思わぬご馳走を頂いて、せっかくの焼きたてだからと早速頂く。ふっくらと上品な脂がのってとっても美味しかった。我が家のちょっと貧相な鯛はこっそり冷凍にする。記憶が薄れた頃にそ~っと出そう。


 今年は、豊かな霊の糧を頂き続けて、故もなく受ける恵みに感謝するばかりだった。年を取るという絶対のマイナスの中にいることが、その弱さの中でいよいよリアルに主を味わって行くことが出来るのだから、本当に驚きである。
より厳しいであろうことを予感させる明日から始まる新しい年も、一日一日、主に在ってワクワクすることもできる。

「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
サラにはこの時からいのちを繋ぐ喜びが始まったのだから、人間的な限界のときこそ主の現れてくださる時と私はワクワクしていよう。

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