石ころ




 ウオーキング途中に設えられた作業場から、椎茸の菌入れのドリルの音が聞こえてきた。毎年この音を聞く度息子がこのアルバイトで怪我をしたことを思い出す。
事故を懐かしむのは、椎茸屋さんのとても丁寧な対応もあってのことであり、残る傷がわずかなものであったこともよるのだが、
彼が家族に弱さを見せることは無かったから、わずかに弱さを見た日々を私は懐かしむのだ。

 私の右人差し指にも小さいけれど醜い引き攣れがある。私はこの傷を通して、早くに死に別れた母を思い出してはほっこりと温められて来た。
幼い日に母の手伝いをしていて出来た傷だった。その時の母の取り乱した様子がありありと残っており、痛みはまったく覚えていないけれど、怪我をさせたことを悔やんで悔やんでいた様子に「私は母の宝物なのだ」と知ってとても満足したものだった。


 主は人を土の器に造られた。脆くてひび割れ欠けのあるもの。神様に砕かれ治められる者として造られたのである。
しかし、誰も御子イエスほどの傷は持っていない。
だから、私たちの傷は甘い。私たちの傷の深さ、欠けの深さに御子の血潮が注がれているからである。

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(Ⅱコリント4:7)

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