そんなに気を遣わないでください。
主が真ん中に居て下さいますから大丈夫でしょう・。主がお選びになった方をつまずかせることなんて出来ないと思います。
私たちがイエスさま以外に、腹に何もないことは主が先刻ご存じですもの。
でも、できるだけ親切な表現を心がけるべきだと・・気づかせられました。巻き込んでごめんなさい。
また、「言葉の足りないところ」ばかりで、知識にも欠けており、十分に語ることは所詮無理ですが、すべて失敗も成功も主にあって・・私はそれで良いと勝手に思っています。
「この病人がどんな動機で語ったにせよ、イエスにとっては大きな問題ではないですね。」
私はアーメンです。それは、人の側の問題に過ぎないと思います。主は初めからすべてをご存じですから、彼への導きとして言われたのだと思います。
主のご計画を人の行いや言葉によって、駄目にしてしまうなんて考えられません。
「魂の考え」このことを伝えたかったのです。私の熟慮が主と何の関係があるでしょう!
私はサマリヤの女の箇所でこのことを学びました。
彼女はイエスさまに出会った時、「あなたは何で水を汲むのですか」と聞きました。その答えをイエスさまから得て、渇くことのない新しい生き方を知った直後、それまでの生きる方策である、古い水瓶を放り出して駆けだしたのです。なんら躊躇するなく・・。古い自分の姿なんか伝道のネタでしかなかった・・。
彼女はイエスさまのお言葉だけで学びました。凄いことだと思います。それだけ渇いていたのでしょう。
行いのない信仰は虚しいです。でも、そのほうが賢そうでもあります。何もしなければ失敗もありませんから・・。黙っていれば恥をさらすこともありませんから・・。
サマリヤの女も自分の恥を町中でさらすことはありません。でも、主に渇きを満たされたら、いのちがあふれてきて動き出してしまうのです。それを止めることが出来ないからです。
すべては、「渇いているか?」ということでしょう。
主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。(ホセア14:9)
彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。(ペテロ2:8)
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