イエス様が明確に語っておられる十字架への道筋を聞いても、弟子たちはそのみことばから目を閉ざし耳を塞いでいる。
そんな気持ちが分かるように思う。彼らはすべてを捨ててイエス様に従ってきた。イエス様だけがすべてだから・・。
弟子たちは、イエス様を十字架で失ったその瞬間は、最後の望みさえ絶たれてしまった。イエス様のよみがえられたお姿を見るまでは・・・。イエス様に従うことの厳しさ。
私も純粋に信仰を選んだと思っていても、すべての望を失うような経験をする瞬間、目の前で起こることをじっと見ていよう。幼子のように思い煩わないで・・・。でも、私の必要をバルテマイのように主に叫ぼう。
「何をしてほしいのか」と問われた時、バルテマイのように私も「目が見えるようになることです」と、神の国を見る目を求めますように。
あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。 (Ⅰテサロニケ5:24)
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