石ころ

弟子の召命(マルコ1章)




ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。(マルコ1:16~18)


「人間をとる漁師にしてあげよう」この時のペテロ(シモン)とアンデレに意味がわかったとは思えないが・・。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネ15:16a)


この先立つ主のご計画に在って、イエスさまに従おうとする者は即座に悟るのだろう。弟子の召命には、神と人の素晴らしい応答がある。

網を捨てるということは、漁師の命の保証を捨てることである。彼らは「すぐ」人の躊躇や手段を挟まないで従った。此処にあるのは聖さ。そうして、彼らには「生きることはキリスト」となり、イエスさまだけが命の保証となった。

 また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。
すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。(マルコ1:19~20)


ヤコブとヨハネも、父と、雇い人と、舟を残してイエスさまに従った。彼らはこの世の責任を残して行ったのだ。
「父を葬ってから従う」と言った者がある。しかしイエスさまはそれを許されなかった。イエスさまを後回しにするなら、もう主に追いつくことはできないのだ。イエスさまを離れては、人は何もできなくなるからである。

主は家族ぐるみで祝福してくださるお方である。それは、まず、みことばを聞くことから始まる。そうして、聞いた言葉を受け入れるなら、祝福は家族に及んでゆくのだ。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)


イエスさまはペテロの家を訪ねられる。家族に助けが必要なときは主か働かれる。熱病に冒されていたペテロの姑は癒され、イエスさまは手を取って立たせて、彼女はイエスさまをもてなすようになった。
イエスさまだけを選んだ弟子が、家族ぐるみでイエスさまの永遠の家族とされるのだ。
ヨハネは、十字架の上のイエスさまから、マリヤを母として与えられた。それはヨハネへの家族の祝福である。

それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。(マタイ12:49)

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