石ころ

今日はマルコ8章


パリサイ人はしるしを求めた。彼らは見ても信じない。弟子たちも幾度もイエス様のわざを見ているのに悟らない。私もイエス様の備えの中で、今日まで生かされてきたのに安息しなかった。

私は違うと思っていたのに・・・。無意識のうちに自分でやりくりしようとしていた。だから、この数日なんとなくちぐはぐな日々だった。こんなになってしまったのは、焦点がいつの間にか「イエス様」から「人」に変わってしまっていたのだと思う・・。

「わたしとわたしのことばを恥じるような者・・」と言われたけれど、私もイエス様のことばを恥じることをしていたのかも知れない。イエス様の備えてくださることに自力で付けたそうとしていたから・・。
「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」

でも、イエス様は繰り返し私にふれてくださって、私の目がはっきり見えるようになるまで導いてくださる。ハレルヤ!
「それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。」


ムベの新芽が無数に膨らんでいる。今にも爆発しそう・・いのちがあるから自然に芽生える。なにものもそれを止めることなど出来ないんだ!イエス様だけで充分!

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コメント一覧

石ころ
お心遣いを感謝致します
ありがとうございます。体はもう大丈夫です。
私こそ、もう少し早く連絡出来れば良かったと反省しております。結局遠回りされたのではないかと申し訳なく思っております。

行けるだろうと思った判断に間違いがあり、途中から連絡することになってしまいました。あのときは、携帯電話を持たない不自由を味わいました。

何時もとてもお元気な、お母様がダウンされたとの無理をされていたのでしょうか。お祈りしております。


Salt
おからだ大丈夫でしょうか?

そのまま電話を切ってしまい,それでよかったのかと反省しておりました。

いつも元気な義母も昨日はダウン。卒業式に着物を着せてもらう予定だった妻もがっかりだったのですが,改めて,おふたりの信仰と,平素の主の支えの素晴らしさに気づかされ,学ばしていただいた次第です。

無理をせず,お大事になさってください。
石ころ
身に余るコメントを感謝致します
主にある家族として共に主を崇める時を、
つたない信仰を通して与えてくださった主に、心から感謝致します。
石田耕也
いつも霊の味わいの深さに驚いております。
ついついそこに何かを「付け足して」しまうのが我々の「肉」でありますが、主様のみに目を向けさせていただけること、恩寵であります。ただ恩寵であります。

爆発しそうな命も、やわらかな成長となることは、主様のいつものやり方ですね。

いつもいつも、そのようになること、聖書のお言葉から教えられ、姉様のような先輩から教えられ、やがて小弟自身を省みて、そこに「人」のありがたさではなく、主御自身のお値打ちのみを見出すとき、アーメンに至ります。

じつにアーメンであります。
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