石ころ

イエスさまのくびき

 

柚子の実を夫(つま)植えし木と手渡され
ゴツゴツの実を握りしめたり

 


世では役にも立たず何の価値も無い者が、イエスさまのくびきを負うことを願った。救われた喜びに我を忘れて、みことばを追い求めるうちに、負うたくびきも背の荷も忘れていた。

 

雑多な世の重荷をもイエスさまが負って、歩を合わせていてくださっていたことに気づいた!確かに、いつの間にかすべての重荷は消えていて、イエスさまの安心だけが心を包んでいた。

 

私が、イエスさまのくびきを負うと思っていたけれど・・実は逆になっていた。日々、心にふっと浮かんだことまで心配してくださっていから、どんな時も平安の中にいたのだった。

 

また、心に浮かぶ細やかな願いをも叶えて、日々に感謝と喜びを満たしてくださる。
「もう、何もいらない」なんて言うのは、霊と魂のうちも、イエスさまの豊かさをたまわっているから・・。

 

わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:29~30)


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