石ころ

逃げ出す時(創世記31章)

 

ところで、ヤコブはラバンの息子たちが、「ヤコブはわれわれの父の物をみな取った。父の物で、このすべての富をものにしたのだ」と言っているのを聞いた。
ヤコブがラバンの態度を見ると、はたして、それは彼に対して以前のようではなかった。
主はヤコブに言われた。「あなたが生まれた、あなたの父たちの国に帰りなさい。わたしは、あなたとともにいる。」(1~3)

 

神の祝福はみな同じようではない。それは神との関係によることである。時にその祝福がねたみとなり迫害となることがある。しかし、そのことは神が知っていて下さり心配してくださるから、私たちは人の顔色を見て、祝福を受けることを恐れる必要はない。

わたしはすぐに来る。あなたは、自分の冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり保ちなさい。(黙示3:11)

 

ヤコブは人を送って、ラケルとレアを自分の群れのいる野に呼び寄せ、
彼女たちに言った。「私は、あなたたちの父の態度が以前のようではないのに気づいている。しかし、私の父の神は私とともにおられる。
あなたたちがよく知っているように、私はあなたたちの父に、力を尽くして仕えてきた。
それなのに、あなたたちの父は私を欺き、私の報酬を何度も変えた。しかし神は、彼が私に害を加えることを許されなかった。(4~7)

 

人の不当な扱いにあっても、神のまなざしはその愛する者に注がれ守られていて、何時までも虐げられたままには置かれない。
また、主との交わりにある霊、たましいには絶えざる平安と喜びが注がれているのだから、迫害の中で神に格別に扱われることを恐れてはいけない。

 

わたしは、あのベテルの神だ。あなたはそこで、石の柱に油注ぎをし、わたしに誓願を立てた。さあ立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。(13)

 

ヤコブの旅の初めに神との関係が築かれてあった。神から発したことは、神によって成り、神が完成してくださる。人の成すべきことは、ただ、みことばに従順して出発することである。

 

ラケルとレアは答えた。「私たちの父の家には、相続財産で私たちの取り分がまだあるでしょうか。
私たちは父に、よそ者と見なされているのではないでしょうか。あの人は私たちを売り、しかもその代金を食いつぶしたのですから。
神が私たちの父から取り上げた富は、すべて私たちのもの、また子どもたちのものです。さあ、神があなたにお告げになったことを、すべてなさってください。」
そこでヤコブは立って、彼の子たち、妻たちをらくだに乗せ、
また、すべての家畜と、彼が得たすべての財産、彼がパダン・アラムで自分のものとした家畜を連れて、カナンの地にいる父イサクのところへ向かった。(14~18)

 

神から出たことは、人には突然に見えても初めからのご計画であって、そこには混乱ではなく平和が備えられている。
ヤコブは神のことばを受けた時、妻たちを伴って御声に従った。彼女たちにはそれこそ急なことであろうが主の備えによる平安があった。

 

そのとき、ラバンは自分の羊の毛を刈りに出ていた。ラケルは、父が所有しているテラフィムを盗み出した。
ヤコブはアラム人ラバンを欺いて、自分が逃げるのを彼に知られないようにした。
彼は自分のものをすべて持って逃げた。彼は立ち去ってあの大河を渡り、ギルアデの山地の方へ向かった。(19~21)

 

神の導きに在っても、人に罪や失敗や間違いは付き纏うものである。ヤコブは人間的には責められるところもあり、人は逃げることに負い目を感じるものである。彼はラケルの盗みを知らず、偶像を伴っていることも知らなかった。

 

 三日目に、ヤコブが逃げたことがラバンに知らされた。
ラバンは身内の者たちを率いて、七日の道のりを追って行き、ギルアデの山地でヤコブに追いついた。
神は夜、夢でアラム人ラバンに現れて仰せられた。「あなたは気をつけて、ヤコブと事の善悪を論じないようにしなさい。」(22~24)

 

不完全な人を知り尽くす神の憐みによって、弱さは守られみこころを歩むことができる。人の善悪で論じるなら、神のみこころを行うことは誰も何もできなくなるだろう。
弱さや卑怯さ不正を指摘する人間には、憐みも慈しみも無いからである。神はヤコブが責められることのないように、ラバンに釘を刺してヤコブの心を守られた。

 

私たちが自分の弱点によって、非難されることや傷つけられることを恐れるなら、みこころを行うことが出来なくなる。
しかし、神のみこころを行おうとする関係に在って、神は力を与えて事を成し遂げさせてくださる。人を知り尽くす神が、どうして予めすべてを備えてくださらないことがあろうか。

 

ラバンはヤコブに追いついた。そのとき、ヤコブは山地に天幕を張っていたが、ラバンもギルアデの山地に身内の者たちと天幕を張った。
ラバンはヤコブに言った。「何ということをしたのか。私を欺いて、娘たちを、剣で捕らえられた者のように引いて行くとは。
なぜ、あなたは逃げ隠れて私を欺き、私に知らせなかったのか。タンバリンや竪琴で喜び歌って、あなたを送り出しただろうに。
しかもあなたは、私の孫や娘たちに口づけもさせなかった。あなたは全く愚かなことをしたものだ。(25~28)

 

ラバンのもっともらしい言葉は、時にキリスト者が世で訴えられる言葉である。神に聴き従う間も責め言葉として聞くことがある。
方法の稚拙さや、説明が足りない・・愛が無い等々・・、反省しだすと迷宮に迷い込むが、それは敵の罠である。
みことばを聴いて出発したことなら、後に神が取り成して証させてくださるからである。

 

それはそうと、あなたは、あなたの父の家がどうしても恋しくなって出て行ったのだろうが、なぜ私の神々を盗んだのか。」
ヤコブはラバンに答えた。「あなたがご自分の娘たちを私から奪い取りはしないかと思って、恐れたのです。
あなたがご自分の神々をだれかのところで見つけたら、私はその者を生かしておきません。私のところに何があるか、私たちの一族の前で、ご自分で調べてください。そして持って行ってください。」ヤコブは、ラケルが盗んだことを知らなかったのである。(30~32)

 

人はすべてのことを知ることはない。それゆえ誰に対しても謙遜は常に必要である。「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言うに留めて、それ以上に誓う必要はないのだ。
ヤコブの知らないことであったが、偶像が見つからずに済んだことは神の憐みがあったからである。

 

ラバンはヤコブに答えた。「娘たちは私の娘、子どもたちは私の子ども、群れは私の群れ、すべてあなたが見るものは私のもの。この私の娘たちに対して、または、娘たちが産んだ子どもたちに対して、今日、私が何をするというのか。
さあ今、私とあなたは契約を結び、それを私とあなたとの間の証拠としよう。」
そこで、ヤコブは石を取り、それを立てて石の柱とした。(43~45)

 

ラバンの心を支配するのは、神が予め語られたみことばである。それは神への応答によって発したヤコブに対する備えであり、そこに在る彼らに対する神の平和である。

 

ヤコブは山でいけにえを献げ、一族を食事に招いた。彼らは食事をして、山で一夜を明かした。
翌朝早く、ラバンは孫と娘たちに口づけして、彼らを祝福した。それからラバンは去って、自分の所へ帰った。(54~55)


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