心を裸にしていられるならそれはとても心地よいこと。何も取り繕わないで、身構えることもなく、隠すものもないのなら・・。
完全な夫婦の間柄みたいに、欠けを互いの愛によって覆い合う関係は麗しい。初めのアダムとエバもそうだったのかなぁ・・
「人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。」創世記2:25
彼らに罪が入るまでは、神が造られた汚れなき姿は裸だった。
罪ある血筋となってしまった今だって、赤ちゃんの裸はピカピカで玉のように美しいのだけれど・・。
罪によって裸は汚されて恥となり、覆い隠すべきものとなった。裸にされることは見せしめであり、罰である。
「エルサレムは罪に罪を重ねて、汚らわしいものとなった。彼女を尊んだ者たちもみな、その裸を見て、これを卑しめる。彼女もうめいてたじろいだ。」哀歌1:8
「あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。」黙示3:18
その白い衣の代価は、すでにイエス・キリストが支払って下さっていた。十字架で御体を裂いて流してくださった聖い血潮によって。
救われた者の着物は、神の子の赤い血潮によって買い取られた真っ白な義の衣、永久に古びることのない完全な衣。
私はただで、信仰により、その衣を主から頂いて着たその時、ほんとうに、たとえようもないほど嬉しかった。責め続ける罪の記憶から、完全に解放されたから・・。
その衣は祭司のエポデのように、不自由な動き難いものではなく、身を縛るものから解かれ、じつに心地よくて、私の素肌のように違和感がなく、しなやかに動けるもの。
そう、このことはイエスさまの謙遜なんだ・・。
この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。
彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。
戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。
こうしてあなたは、御救いの盾を私に下さいました。あなたの右の手は私をささえ、あなたの謙遜は、私を大きくされます。 (詩篇18:32~35)
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