さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。(Ⅰコリント3:1)
成長しない者は肉に在り、御霊に属していないとある。それではみことばを生きることがができず、とても危険なことである。本人にはその自覚がないことだからである。
私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。(Ⅰコリント3:6~7)
人に依存して神のことばに信頼しせず、進んで従順しないなら成長しない。主は拠り頼む者を育ててくださるが、切に知ることを求めない者には、聖霊の働かれる場所はないからである。
植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。(Ⅰコリント3:8)
人は自ら主に繋がりみことばを生きて行く中で、自分の救われた意味とその役割を教わり、その行いによって報酬をたまわる。その報酬の第一は主を知ることであり、そこにはキリスト者の平安がある。
イエスさまの十字架による一方的な愛に出会い、喜びに溢れ、平安のうちに生きて、寛容を味わい、親切を訓練され、善意を教えられ、誠実を知り、柔和を着せられて、自制を躾けられて行く。それも一方的なことで、拠り頼む者を日々聖霊が育ててくださることである。