石ころ

「わたしはある」アーメン





そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。(ヨハネ8:28)

 たとい、みことばがまだよく理解できなくても、私たちが「アーメン」できるのは、キリストの十字架が、人の歴史にはっきりと刻まれてある今だからなのだ。
今という時に生かされている者であることに感動して、この恵みの時、救いの日に生かされている者の責任として、どうか、どうかこのことを重大に受け取って欲しいと思った。

それは人類の歴史に置いても、あなた個人あなたの家族にも、永遠の祝福を受けるか否むかただ一度の選択の時であるのだから・・。
本当に大切なこの時に、キリストなる神の御子に「アーメン」と言わなければ、もう、それほど時間はないのだ。

わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。(ヨハネ9:4)

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コメント一覧

ムベ
アーメン
しかし、「真理はあなたを自由にする」と言われたとき、
人は自由よりも現状維持を求めてしまうのです。
夕闇が迫っているのに・・。
油菜
アーメン。

「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように」
(ヨハネの黙示録/ 22章 21節)
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