石ころ

ちょっと切ないクリスマス

 

 この季節になると教会のクリスマス祝会で、わいわいとカーテンを被って博士を演じ、軽妙な司会に笑いころげ、楽しく語り合ってご馳走を頂いたことなどを思い出す。


クリスマスの日程が決まると、私はチラシを作ってご近所から始めて出来る限りの範囲配って歩いた。
「クルシミマスだ・・」なんて冗談を言いながらも、せわしい家事の合間に走り回った。ただ、ただ、嬉しくて張り切っていた。

 

 しかし・・祝会が終わるとツリーは手早く片付けられ、会堂の装いは元旦を迎えるために切り替えられる。そうして喜びは世のクリスマスと同じように過ぎ去って行き、もう誰もクリスマスを語らなくなる。


クリスマスの喜びはクリスチャンにも過行くものなのか・・調子を合わせながらも、心の奥に何とも言えない違和感を覚えるようになって行った。

 
家にもクリスマス飾りはなくなり、食卓も普段通りとなって行った。一時の喜びで過行くクリスマスに興味が無くなったから・・。


 何もしなくても、主を喜ぶ静かなクリスマスは心のうちに留まっている。絶えることの無いイエス・キリストの喜びが、年がら年中24時間、寝ても覚めても時が良くても悪くても、賑やかな時も寂しい時も、片付けられることも、過ぎ去ることなく留まっている。

ずっとイエスの訪れの喜びを味わっている。いつも再び来てくださるイエス・キリストを待ち望んでいる。リアルにお会いできる日を思い描いている。

 

 今、キリスト者のうちにいてくださる主と、日々の祈りのことばによるお交わりのうちに親しみ、生きて働くみことばを経験しつつ、主を喜ぶ喜びが何時もいつも私たちに満ち満ちていますように。
メリークリスマス!


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