石ころ

みことばの石を据える(申命記27章)

 

モーセとイスラエルの長老たちは、民にこう命じた。「私が今日あなたがたに命じるすべての命令を守りなさい。
あなたがたがヨルダン川を渡り、あなたの神、主が与えようとしておられる地に入る日には、大きな石を立て、それらに石灰を塗りなさい。(1~2)

 

ヨルダン川の向こうにいる強い敵に対して、神が備えよと言われたものは大きな石である。石を運び入れて白く塗りみことばを書くことであった。

 

渡ったら、それらの上に、このみおしえのすべてのことばを書き記しなさい。それは、あなたの父祖の神、主が約束されたとおり、あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地、乳と蜜の流れる地にあなたが入るためである。(3)

 

主が備えてくださった地を受けるための命令は、強い敵と戦う武器を揃えることではなく、賢い戦略を巡らせることでもない。神のことばを印す石を運ぶだけであった。それが彼らの敵に対する備えであった。

 

あなたがたがヨルダン川を渡ったら、私が今日あなたがたに命じるこれらの石をエバル山に立て、それに石灰を塗りなさい。
そこに、あなたの神、主のために祭壇を、石の祭壇を築きなさい。それには鉄の道具を当ててはならない。(4~5)

 

石に道具を用いて作ったのがキリストの像であっても、人の手によるものを拝むことは罪である。
キリストは完全な岩である。人の罪深さはみことばに言葉を付け加え、小賢しい知恵で分かり易く手を加える。しかしそれは罪ある人の作品であって、聖霊の働きを邪魔するのだ。

 

世の知恵は大きな石をもって来て芸術的な像に仕上げて安置し、像に刻まれた銘を見て感心し自分の望みをかけて拝む。

先祖代々わずかな命の時間を、そのようにして死から目を背け、命についての不安を誤魔化しているのである。創造主なる神は、人の心をノックして命についてよくよく考えなさいと、今もこのように知らせておられる。

 

自然のままの石で、あなたの神、主の祭壇を築かなければならない。その上で、あなたの神、主に全焼のささげ物を献げなさい。
またそこで交わりのいけにえを献げて、それを食べ、あなたの神、主の前で喜び楽しみなさい。
それらの石の上に、このみおしえのことばすべてを、よく確認して書き記しなさい。」(6~8)

 

人手を加えない石に書かれる神の約束のことばに従順するとき、その地は神よりたまわった地となる。
石を白く塗るのは、みことばが誰にでも読めるようにするためであり、主から発したことばに拠って立つっていることを確認する度に、敵に怯えることなく主に信頼して安らかに住むためである。

 

ヨルダン川を渡って強い敵に向き合う時に、第一にする事が重い石を運びそれを白く塗ってみことばを書き込むということは、主に命を委ねる信仰がなければ出来ないことである。自分の命を惜しむなら、まず敵を殲滅してからということになるのだ。

 

みことばに従順することは何時だって人の賢さに逆らう。それゆえに従順が信頼の証となるのである。神は霊であり、肉なる人が霊に従順するためには、聖霊の助けに拠らなければ不可能なのだ。

人の知恵と力によって入った地は、神の平和によってたまわったものではないので、何時までも恨みや憎しみによる戦いを残す地となる。

 

 「交わりのいけにえを献げて、それを食べ、あなたの神、主の前で喜び楽しみなさい。」とあり、主との交わりは人の喜びであり、みことばを食べることは主を楽しむことである。このことは旧約時代にも繰り返し命じられている。

 

キリストは私たちの罪をあがない、十字架の血で洗いきよめて雪よりも白くして、神と和解させて深いお交わりに招いてくださっている。聖霊は折々に蓄えているみことばを思い出させて、生きて働くみことばの喜びを経験させて、永遠への望みをリアルにしてくださる。

 

罪の苦しみの十字架はキリストが負ってくださった。十字架の上で神の罰を、死刑と言う最も重い刑罰としてすべて贖って、神の御子が身代わりになってくださったのである。そのために支払われた犠牲は、どんなに大きな罪も解決してあまりあるのである。

 

これほどまでに神に愛されている者が、世の貧しさに負け、新しいいのちが天に備えられているのに病を嘆き、世の問題で悩み続けるだろうか。
御子が十字架ですべての救いを完了してくださったのに、何かが足りないかのように嘆く姿なぞ主にお見せするべきではないと思う。
使徒たちは激しい迫害の中で鞭打たれることさえ、聖霊に助けられて喜んでいた。

 

私たちの霊のうちに書き込まれた、みことばの望みを世の風雨から守って、キリストの平安に留まらせて下さる聖霊がピッタリと付き添っていてくださる。

みことばを生きるほどに主を経験していのちは喜びを増す。病むことは癒やしによって主を体験させ、貧しさは主の養いの豊かなことを経験させる。問題には勝利を与え、死は御国で主にお会いする最高の祝福なのである。

 

どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。(ローマ15:13)


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