石ころ

招き (ルカ14章)




宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。
すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。
ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。
また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。(ルカ14:17~20)


 彼らは元から主の宴会を楽しむ権利を与えられ選ばれた民である。祝福が初めからの神のご計画であったことは、彼らの豊かさからわかる。
しかし彼らはその富の管理に邁進し、それらをひととき脇に置いて、与え主を重んじることをしなかった。
主の招きを畑や牛や妻以下に扱い、主の面目を施すことさえしなかった。
彼らの日々は主に賜る宴会のようであったのに・・。

「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。(ルカ14:26)


主の招きの妨げとなるものは、すべて憎むべきものである。憎んで退けないことは主を退ける結果と成るからである。

僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』
やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、
主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。(ルカ14:21~23)


先に祝福を一杯に受けていた民の裏切りに、主は真逆にある人々を招くように命じられた。彼らは通りがかりの者であり、主の必要を何ひとつ満たしていない者たちである。ただ、恵みの宴を満席にするためにのみ招かれ、彼らにある主の要求はただ一つ、主の御許に来ることだけでありそれは私のことである。

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