石ころ

ほほえみ




誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。(マルコ14:38)

此処でイエス様は、理解はされたけれどペテロたちの体を強めることはなさらなかったなぁ・・って思った。
しんどい・・あちこちにコロコロと変わるとらえどころのない痛みがある。まあ、こんなのは、永遠の住まいをすでに準備されている身には大したことではない。
しかし、まとわりつく弱さはとてもうっとおしい。

人は疲れる、人は怪我をする、人は病む。
それらは信仰があっても癒し主を知っていても実にうっとおしい。祈ることにも疲れることがあるほどに・・。
その時は忍耐と信仰を試されているのかな・・、それともアーメンですべてOKなのかなぁ良くわからない。

目を上げると、いつも無愛想なコンクリートの擁壁に、ハンギング昼顔がピンク・・微笑んで居た。とても幸せそうに・・、
目があったとき私も幸せをお相伴させてもらった!

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コメント一覧

ムベ
調べてくださってありがとうございます
仰るとおりです。息子が帰っていたので撮ってもらいました。

「お相伴」私もとても久しぶりに出てきた言葉です。
お母様を思い出してくださって良かった!
昔は結構普通に使って居ましたが、最近はとんと聞かなくなりました。
今は何と言うのかなぁ・・。

辞典も内容の幅が面白いですね。
言葉は感覚的なものだったりするので、それを説明することは
難しいだろうなぁ・・と思います。

「他人だからこそ結婚できる」ああ!そうなのですよね。
時々「やはり他人だ」と絶望したりしましたが・・。
電気屋
背景を思わされる様な一枚の写真
息子さんが撮ってくださったんでしょうか、、

朝顔は英語だとモーニンググローリーですから
「朝顔」「昼顔」「夕顔」「夜顔」
それぞれ時に応じて見せてくれる主の栄光ですね。

「お相伴」久々に聞かせて頂いた美しいことば、
母が使っていたの思い出しました。
辞典によると

①従いともなうこと。
②主人を助けて正客の相手をし、ともに接待を受けること、人。
③他人のそばにいるために利益をうけること。
(①~③ 角川国語辞典より)

④連れだっていくこと。またその連れの人
⑤饗応の座に正客の連れとして同席し、もてなしを受けること。または、人の相手をつとめて一緒に飲み食いをすること。また、その人
⑥他とのつり合いや行きがかりで利益をうけること。また、他の人の行動に付き合うこと
(④~⑥ 小学館 大辞泉より)

ちょっとキリストとの関係にも相通じる様にも思いました(他人って淋しいけど、他人だから他人だったからこそ結婚できるんですがね)。


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