イエス様の「ミナ」の例え話を聞いた。
「1ミナ」という、誰にでも与えられているもの、それは「時間」ではないかと言われた。時は誰にでも平等に与えられている。イエス様を信じる者にも信じない者にも、世界中同じ、1日は24時間。その時を用いて私たちは与えた方の命令を行う。例えの中のことばでは「商売」をする。今、私のするべき「商売」とはなにだろう。私に与えられている、二度と戻らぬこの時間をどのように用いるべきなのか・・・宿題が与えられたよう・・・。
また、弟子に話されたの「タラントの例え」と比べる事を導いてくださった。
神様は本当に平等な方、それぞれ「能力に応じて与えるタラントの量は違う。誰にとっても重荷とはならず、軽すぎることもなく、褒めことばも全く同じに配慮されていた。神様の命令に従った者には「多くの物を支配し、神様の喜びを共に喜ぶ」という報酬を与えてくださった。
命令に従うには、タラントにばかり心を奪われて怖れるのではなく、与えられた方に信頼して、能力に応じて行えば自然に結果は出る。なぜなら与えた方は私たちを良く知っているから。
神様がクリスチャンに、働きの結果として与えられるものは「神様の喜びを共に喜ぶ」というもっとも心を満たすものだった。
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