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石ころ

火曜日のために 金持ちの青年



イエスさまはご自身を「尊い」とは呼ばせなさいませんでした。尊いお方は父なる神様であるとはっきりと区別しておられ、ご自身に父の権威を重ね合わせることはされませんでした。
青年は律法を幼い頃より守って成長してきた人でした。彼は申し分のない生き方をしてきたのですが、それだけで天の御国にはいれないことも知っていたのです。

事実、人はその良い行いによって天国に入ることは決してありません。
アダムが神の言葉に聞き従わず反逆の罪を犯して以来、人の血筋にある罪を人の行いによって帳消しにする事は誰にも出来ないからです。

青年がイエスさまの元を去って行くと言うことは、彼が永遠のいのちである天の御国をあきらめて、永遠の滅びを選んだということです。
イエスさまはいつくしみの御目を青年に注いで、イエスさまに助けを乞うのを期待しておられたのです。ひれ伏して「私にはできないのです。憐れんで下さい。」と救いを求めるべきでした。

イエスさまは弟子にこのように教えておられます。
イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」(マルコ10:27)

人にはできないからイエスさまに願うのです。
その時、イエスさまはどうされたのでしょうか・・何らかの手段で青年の財産を処理して下さったかも知れません。あるいは、財産に勝るご自身の祝福を経験させて下さって、喜んで捨てることができるように導いてくださったかもしれません。

ただ、青年が自力では救われないことを知ることが必要なのです。イエスさまの救いはイエスさまを必要とする人にのみ与えられます。
今まですべて自分の力でやってきた立派な人も、天の御国にはキリスト様にひれ伏して入ることを学ばなければならないのです。

イエスさまのみことばの故にすべてを失うことは、完全にすべてを得ることを意味します。
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。(マルコ10:29~30)

人はすべてのことを、イエスさまに手放すことによって祝福されるのです。
この青年にイエスさまが与えようとされたのはこの祝福だったのです。イエスさまは青年を無一文の憐れな乞食にしようとされたのではありません。百倍を与えようとされたのです。

しかし、「迫害の中で・・」と書いてあります。だからそれは簡単なことではないのですが、それに耐える力も神様は御真実ですから備えてくださいます。そこを通って永遠のいのちを受けて行くのです。
しかし、今持って居るものが多いほど、この過程を経ることが難しいのは事実です。

人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ16:26)

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