あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、(18)
キリスト者はキリストを演じる者ではなく、互いにかしらであるキリストに堅く結びついて、聖霊により力を供給されて、神のご計画を遂行する者である。
自分発の力や善きものに拠り頼む生き方は世である。
かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。(19)
キリストのからだであれば、神によって養われ成長させられるとある。それは、神のわざである。キリスト者が居場所を間違えていなければ、ご真実な主はそのことをしてくださる。
もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
「すがるな。味わうな。さわるな」というような定めに縛られるのですか。
そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。(20~22)
かしらに結びつているキリスト者はあらゆる自由を持っている。キリストのことばによって生きている者が、なを、人のあれこれによって補強される必要はない。
聖霊は私たちの内に蓄えられているみことばを、折々に思い起こさせて、行く道を真っ直ぐに導いていてくださる。
そうしてキリストのからだである私たちは、皆養われて成長し、みこころを行っては神の御名があがめられ、私たちの喜びはあふれるようになるのだ。