石ころ

使徒の働き㉚ (使徒17章)

 

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。(11~12)

 

ペレヤのユダヤ人は「素直で」(新改訳2017)」とある。それゆえ、パウロから語られるみことばを、多くの人が受け入れることが出来たのだ。


聖霊によって触れられた者にたまわる純真な心には、みことばが素直に沁み込んでゆく。渇いた霊と魂に沁み込んで行って、みことばに対する熱心となり、その熱心は行動となって現れる。

 

キリストを慕う心は、みことばにある喜びのゆえに、繰り返し繰り返し読み返しては探求し、信じたことばの確証を得て行くようになる。
それは、乳飲み子が乳を慕い求めるいのちの働きのようである。

 

この世の強者も知者も、聖霊に触れられれば幼子のようになり、自分の悟りも力も誇るものも塵芥と捨てて、みことばの乳を慕い求めるようになる。
それは純真な心をたまわるからであり、そこで自分が造り変えられたことを経験するからである。

 

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)

 

ひねくれる心は感情の支配下にあって、みことばそのものを受け付けることができない。みことばは霊なので、肉の賢さは霊に反発するからである。

 

私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、
イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。(ピリピ1:9~11)

 

このことは、聖霊に在るきよさと素直さの中に育つことである。


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