わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(Ⅰヨハネ4:10)
エデンの園で、禁じられていた善悪の知識の木の実を食べて以来、人は自他を責め訴える者となり愛を損なってしまった。神様が愛されたのはそのような私たちである。
人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」(創世記3:12)新改訳
アダムは「あなたが、私の側に女を置いたからだ・・」と神様を責め、「食べたのは女がくれたからだ」と女を訴えた。
此処で神様に対する人の愛は壊れ、アダムとエバの愛も不完全なものとなってしまった。
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」(創世記3:4~5)
それ以来人は善悪を自分の都合で作り替え、すり替えて、神様をも人をも支配しようとし、神の愛と人を引き裂いたことで、今は蛇(サタン)の目的は成功しているかに見える。
園を追放された人に対して神様は、「わたしの愛する子」であるイエス様をもって購い、御許に子として迎え入れることを計画してくださった。
このことは、人を神の形に造ってくださった創造主の愛の深さによることである。
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。(Ⅰヨハネ4:9)
イエス様がご自身を捧げてくださったことを信じる者は、神様との関係が回復され、もう、訴えることも訴えられることもなく、神様の子として愛の中に安息することが赦さた。
そうして、神の霊によって守り導かれる者となった。
神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。
わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。
イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。(Ⅰヨハネ4:13~15)
この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。(ローマ8:16)
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