石ころ

口下手




 三連休で次男が帰ってきてお風呂場の工事をしてくれた。彼は気が付いたことは何でもてきぱきと修理してくれる。
インターネットで調べて半日がかりで器具を買いに行き、帰って来るなり取り付けてくれたが、何しろ四十年近く経つ古屋なので今の製品がそう簡単に合わない。何時もの事ながら細かな加工をしたり、発想の転換を必要とする難工事となる。

「いい加減なことをしてあるなぁ」器具を外して、工事がずさんだとぼやいている。「これだから人に任せるのが嫌なんだ。」偉そうに言っているけれど、彼の仕事は良く計算をして丁寧にやり遂げる。一応電子工学を学んでいるので、何の工事になろうと彼を信頼し安心して任せている。

 証明写真も撮ってもらった。免許証用とマイナンバー用、これほどすんなりと事を進めようと思うのは主人が亡くなった時の面倒な経験に因ること。カードがあることで手続きの簡略化になるだろうと思うからである。
どうせ私にはそれくらいの価値しかないだろう・・、消費税の払い戻し?あれはなぜかあまり当てにする気になれない。

息子は写真を切断しながら、「本当にこれで良いのかなぁ」としきりに気にしている。
「これで良いよ。これが良いよ」私が懸命に押し通そうとするのは表情が気に行ったからである。息子が引っかかるのもそこにあるのだ。
でも、私は手配書みたいなのやデスマスクみたいなのがどうも嫌なのだ。
「でも、これ笑っているよ」
「いや、いや。笑ってないよ、口開けてないでしょ。」ということで押し通したけれど、警察でも同じように言えるかなぁ・・たぶん一言もいえないけれど、駄目もとということで・・。


 彼はとても親切だけれど、時々かなり激しい言い合いをすることがある。
「お母さんは説明が下手がなんだよ。」
それには一言もない。そのことは自覚がある。
企業などに問い合わせた時も相手の苛立ちが感じられたり、真意が伝わらずに苦情でもないのに「係の者が商品を引き取りに行きます」なんてことになって焦ったりする経験があるから。

口下手なのだ。特に焦っているときの状況の説明が苦手。思いを伝えるのも苦手で、一口には言えない・・なんてもごもご言っているうちに、思わぬ事を口走ってしまうからコワイ。
「頭が悪いものでね」息子が聞こえないのを承知で言い返した。まったくこのことでこの歳まで苦労して来たのだ。
書き言葉は何度でも推敲することができるけれど、頭の回転のゆっくりな私には言葉のやりとりは苦手だ。話しが思っても見ない方向に行くのは毎度のことだから・・。

 でも、気心の知れた姉妹と聖書のことを話している時は、次々とみことばが出て来て、思いのままに交わることができる。それはきっと姉妹のために聖霊が助けてくださるのだろうと思う。このことが思わぬ方向に行ってしまっては大変だから・・。

それにみことばは説得するものでもないし、教えるものでもなく、ただ知ったこと、発見したこと、経験したこと、感動したことをなどを、みことばを用いてそのまま話したり聞いたりするだけだから楽なのだ・・。
何よりも安心なのはイエス様が真ん中に居てくださること。誤解も六回もとりなしてくださるという平安があるから。

息子は手作り弁当を持って「では、行ってくるよ」と、戦場のようでもある職場へ戻って行った。
今日は朝からヨハネの手紙を一緒に読んで会社のことなどお祈りをした。本当ならとても不安な状況であるはずだけれど、心からイエス様に感謝である。
送り出して玄関の戸を閉めた時、すべてをお委ねすることができる主に胸が一杯になって・・、しばらく祈りの中に佇んだ。

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