石ころ

キリストが私のうちに生きておられる(マルコ15章)





それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。(マルコ15:24)


イエスさまは、人々への癒しも、群衆が聴き入ったメッセージも給食も、すべての栄光を罪人として奪い取られ、着物さえも剥ぎ取って十字架に掛けられた。
それは、この世には何の痕跡も残らないほどの剥ぎ取り方で、弟子が「イエス」の名によって語ることさえ禁じて御名をも奪った。此処までがサタンの限界である。

使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。(使徒5:40)


しかし、残されたものはクジ引かれた着物だけではなかった。
あのトンチンカンで弱虫の弟子たちにの中にみことばの種が残され、復活された遍在の主によって、みことばを権威をもって力強く語り出すようになったのだ。

そう、サタンに勝利してみことばを語る者たちである。その内に居られるのはよみがえりのイエスさま。助け主である聖霊を受けて彼らは、世界中でイエス・キリストの十字架の言葉を告げ知らせ、今やキリストを知らない国はない。

花嫁である信仰者は花婿キリストのことばを宿している。時が満ちるとそれを大胆に語り出し、それはもうサタンにも止められない。イエスさまが十字架で神のご計画を完了されたのだ。救いはいのちに満ちて増え広がってゆく。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12:24)


サタンの謀略も、人の悪意も妬みによるあらゆる妨げも、救いの完成者であるイエスさまの前にはなんの効き目もない。私たちの内に居られる方は全知全能である。
恐れるべきは主ただおひとりであるが、その方は信仰者の内に居てくださり、弱点も取り柄も知り尽くしてくださっている。その親しさは一日中御声を聞き続けているのである。

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