石ころ

バラクの知っていること(民数記22章)

 

 ツィポルの子バラクは、イスラエルがアモリ人に行ったすべてのことを見た。
モアブは、イスラエルの民の数が多かったので非常におびえた。それでモアブはイスラエル人に恐怖を抱いた。(2~3)

 

モアブの王バラクは、イスラエル人の行く手を阻んだアモリ人が、聖絶されたことを知って怯えた。イスラエル人の数にも圧倒された。イスラエルは数によって勝ったのではないが・・。

 

同族の国にある、あの大河のほとりのペトルにいるベオルの子バラムを招こうと、使者たちを遣わして言った。「見なさい。一つの民がエジプトから出て来た。今や、彼らは地の面をおおい、私の目の前にいる。(5)

 

バラクの言葉に、主がアブラハムになさった約束を思い出す。

確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。(創22:17)

 

イスラエル民族としては未だ出発したばかりであるが、それにしても、エジプトから出て荒野の道中に在ってのことである。
神は何も無い荒野で子孫を産み出される方であると分かる。環境や世の状況が良かろうと悪かろうと、神のご計画には何の妨げにもならない。

ペテロにもパウロにも牢獄が働きを妨げることは出来なかった。キリスト者に問われることは、日々主に信頼して開かれている道を進み、出来ることを成すだけなのである。

 

今来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、おそらく私は彼らを討って、この地から追い出すことができるだろう。あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを、私はよく知っている。」(6)

 

バラクは、イスラエルの強さがその数によると思っていたのであろう。そうなら神を味方につければ勝てるという判断は正しい。
彼の致命的な誤りは、イスラエルを祝福する者は祝福されのろう者はのろわれる、神の民である事を知らないことである。

 

バラクは、バラムが神と繋がっていて、彼の言葉の通りに「祝福する者は祝福され、のろう者はのろわれる」ことを見ていたのであろう。
しかし彼は誤解している。それはバラムの力ではなく、バラムが聞く神に在る力である。バラムに出来ることは「聞く」ことだけであり、神から発したことばが成るのであってバラムは何も出来ない。

 

 クリスチャンの間では「祈ってもらう」とか、「祈ってください」いう言葉を良く聞くが、信仰の初めから不思議に思っていた。
なぜキリストを知っていながら他人に頼るのだろうと・・。なぜ、状況を知り尽くしておられるイエスさまに直接願わないで、わざわざ遠回りをするのだろうと・・。

 

他人の困難を知った時、頼まれなくてもそっと祈ることは普通にある。テレビで知った他国のことを祈りもする。もちろん地域の祝福を祈り続け、悲しいことを見ると「助けてあげて」とその場で祈る。

それは主が私を置かれた場所であり、見聞きさせられたことだからである。それらの祈りは息をするような自然な祈りである。

 

聖霊に導かれる主の必要のための祈りは、みこころの交わりに招いていてくださる祈りであって、個人的な関係には拠らぬ祭司の務めである。
祈りが応えられた結果を見ると嬉しく満足し、その経験は主への信頼を増して行く。この喜びは祈った者が受ける報酬であるが、未だ結果を見ていなくても、祈りは一つの御霊に繋がれた神の家族の居場所である。

 

バラムはバラクを知らず、神の民としてイスラエルを知らず、すべての祝福の源である創造主を知らずに、バラクに神の守りを求めたのである。

キリスト者は天地創造の神を知っており、永遠のことばを持っている者である。このことはどれほどの恵みであり、なんと光栄なことであろう。
キリスト者も世の荒野で、無限に養って空の星海辺の砂のように数を増してくださる神の約束の子なのである。


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