姦淫の場で捕らえられた女にとって、引き出された裁きの場は恐怖であっただろう。
恥で身を縮め、震えながらそこに引きづり出されて来たのだろう・・。
しかし、イエスさまは言われる。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)
彼女は、恐ろしい石打ち刑を覚悟していたと思うけれど、イエスさまのお側は意外なほど安らかで、今まで経験したことがない居心地の良さだったのだろう・・。
だから彼女は、イエスさまのお言葉に自らの罪を恥じた男達が去った後も、黙って御足下に居続けたのだ。
そりゃあ、主の御側は居心地が良いに決まっている。
身をもって、私たちの罪の代価を支払ってくださるお方。十字架の血に洗って聖め、罪の責め苦から解放してくださるお方だもの。
彼女はいつまでも何時までも御側に居たいだろうけれど、主は言われる
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:11)
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)そんな祝福を頂いて、世に出て行きなさいといわれる。
「もう決して罪を犯してはなりません」とのお言葉に、「アーメン」と出て行くべき。恐れることはない。イエスさまの完全なあがないを信じればよい。
彼女はすでに闇から光に移された。主にあってその光の中でしっかり自立している。男にすがって生きる者ではなくなった。
彼女の渇きは、真の花婿の真実な愛に触れることで満たされ、その光の中で生きて行くことができる。もう、人の責め言葉にもおびえる必要はない。すべてが新しくされたのだから。
イエスのことばは、この世を生きるためのものでもあるのだから、みことばを受け取った者は光の中で生きて行く力が与えられる。
「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6:51)
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ムベ
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