石ころ

新年のお慶びを申し上げます。




 今年の我が家は皆それぞれに忙しくて、私はおせちの準備に追われることもなく、結婚以来経験したことのない静かな大晦日でした。
長男がプレゼントしてくれたcdの中から、「第九合唱」をボリュームを上げて聞き惚れて過ごしました。こんなのんびりな年越しは初めてです。
年が変わろうかという時刻に気づいて、詩編と祈りに時を過ごしました。
聖書を閉じてふっとpc画面を見ると、2017年1月1日1時1分なんだか見とれていました・・。


 マルコ14章(Ⅰ)
イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。

十字架に向かわれるイエスさまへのマリヤの捧げものを読んでいて、やもめのレプタ2枚を思い出した。
マリヤの香油は300デナリ。やもめの1レプタは128分の1デナリ。世での価値は段違いである。でも・・同じ香りがする。ふたりともイエスさまの危急のために捧げて、イエスさまを喜ばせる働きをした。

「たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」(Ⅰコリント13:3)

二人がイエスさまに評価されたのは、神を愛する愛があったからである。それらの価値は愛にあるのだ。
しかし、マリヤは責められた。

すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。

霊の行いは魂には理解できず責められることがある。人に捧げたものは人の評価を得るが、神に捧げたものが人の評価を得るとは限らない。

やもめがレプタ2枚という全財産(貧しさは生活費が全財産である)を捧げる時、大金を捧げる人の中で彼女はたぶん恥じていただろう・・私にはそのことがわかる。でもイエスさまは残りを見て居られた。

すべてをご存じの主に在って、導かれるままに身を任せて休らおう。昼も夜も・・主の御翼の中に、砦の中に伏させてくださるお方に身を寄せて居よう。

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コメント一覧

ムベ
Bluemomenさんコメントありがとうございます
こちらこそ宜しくおねがいたします。
穏やかに受けれてくださって感謝です。励まされております。


Bluemoment
今年もよろしくお願いいたします。
いつも勉強させていただき、感謝しております。
よい1年になりますように。
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