石ころ

ユテコという名の青年(使徒20章)




ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。(使徒20:9)

パウロから直接学べるという、ユテコにはとても刺激的な夜であったろう。居眠りをしてしまうなどとは思いも拠らなかったのだ。眠ければ初めから窓に座ることはないだろうから・・。
イエスさまが、ゲッセマネでペテロにおっしゃった言葉を思い出す。

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マタイ26:41)

弱い肉体を纏っている今は、皆ユテコ同じ弱さを持っている。思うようにならない体や心を抱えて苦闘し、この身のあがなわれる日を待ち望んでいる。
そのような中で、イエスさまが人の弱さをご存じで、同情してくださるお方であることは大きな安心である。

パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。
そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。
人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。(使徒20:10~12)

ユテコを生き返らせたのは、パウロの「まだいのちがあります」という言葉だった。イエスさまと同じだ。
パウロは何事も無かったかのように、パンの交わりをして、みことばの交わりが続いた。その席はどれほど豊かな霊の交わりだったことだろう。直接彼の口から語られるみことばはどれほど力強かったことだろう。

 良く準備されたみことばの解き明かしを聴いていると、時間を忘れて何時までも聴き続けたいと思う。たとえ厳しい言葉であっても、真実に語られるみことばは主の宴会のようなのだ。御霊に満たされる喜びである。

でもその席の交わりは、取り戻したけれどユテコの命が奪われたように、パウロも命を差し出して「二度と顔を見ることがない」という交わりでもある。

いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。(使徒20:32)


みことばは成長させ、みことばは聖なる者とし、みことばは御国を受け継がせる。
パウロは教会をみことばに託して去る。その教会にこれから起こる事をパウロは知っていた。

私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。(使徒20:29~30)


パウロは、自分の生活を人に頼らなかったことを語った。生活が自立していないと養ってくれる人の顔色を見るからである。忖度してしまうとみことばを真っ直ぐに語れなくなり、みことばを曲げる事は聖霊の働きを妨げてしまうのである。そのような言葉を聞き続けると、教会はみことばによって養われて成長することができなくなる。
教会の成長のためにパウロはこのことを言い残した。

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