会見の天幕の中で、さとしの板の前にある垂れ幕の外側で、アロンとその子らは、夕方から朝まで主の前にそのともしびを整える。これはイスラエルの子らが代々守るべき永遠の掟である。(21)
「代々守るべき永遠の掟」ゆえ、ともしびを絶やさないことは今日も、未来永劫までも守られていなければならないことである。
主よ、まことにあなたは私のともしび。主は私の闇を照らされます。(Ⅱサムエル22:29)
私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。(Ⅱペテロ1:19)
それは今、キリスト者が主の御前に留まっていることである。世の闇を生きる間は、寝ても覚めても主の御前に居るのである。
みことばを握って話さず、聴き続けてすべてのことを行い生きる者である。代々みことばの光を掲げつつ、世の闇に輝いて生きる者である。
主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。(Ⅱ列王8:19)
異邦人である者も、アブラハムの信仰による子孫であり、神はアブラハムに対する約束をもって、キリスト・イエスに対する信仰による神の子としてくださった。
キリスト者は、たとえ戦火にすべてが焼かれるようなことがあっても、聖霊の導きによる希望の光、脱出の道である天に、永遠の住まいが備えられている者であり、それゆえ、ともしびを絶やしてはならないのである。
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。(黙示録22:5)
やがて、昼も夜もない神の輝きの中に迎え入れられ、神の子らは喜々として、主の御わざをほめたたえる働きをするようになる。
霊のからだは夢中になって働いても疲れることはなく、その賢さからは知恵が湧き出て尽きることは無く、互いのたまものを喜び愛でつつ、飽きることのない永遠を楽しんで生きるようになる。何不自由のない神の豊かさを満喫しながら・・。