石ころ

弟子の条件


 

 ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。

また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。
すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。(マルコ1:16~20)


イエスさまの招きに対する、彼らの潔さにはいつも胸を打たれる。これこそ、初めから神に選ばれていた人なのだと思った。
彼らは特別優れた人ではなく普通の人だけれど、世の何も惜しまず一瞬で応答して、生涯イエスさまを愛して付いて行った人たちである。
イエスさまは、すべてを捨てて付いてきた彼らに感謝の言葉をかけておられる。

あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。(ルカ22:28)

 聖さはシンプルで子どもでも選び取ることができる。主が求められたとき、何だってすぐに差し出してしまう素直な心の清らかさ。それは主に愛される極意。
アブラハムがイサクを捧げる箇所と重なる。アブラハムがイサクを神から守っていたら、イサクもその子孫に至るまで祝福を得られなくなってしまった。

 イエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」


「父が亡くなったら従います。」という意味だと以前教わったことがあるが。しかし、主は今必要なのである。「まず」自分から主を選び取ることがなければみな滅びるのだ。時を知って居られるのは主だけであるから・・。

別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」
するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」(ルカ9:59~62)


主が備えてくださったチャンスを逃したら、滅びは家族ぐるみである。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)

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