石ころ

神の国 (マルコ4章)




 聖書を順序に従って読んでいるときは良く分からないけれど、読み終えて祈りつつ振り返った時に、パラリと開かれることがある。

「神の国は、・・からし種のようなものです。地に蒔かれるときには種の中で一番小さいのですが・・」

「神の国」が「小さい」とは何を指しているのかと、主に問いつつ読んでいた。そうして、4章を読み終えたとき「ああ・・」と気づかされた。
「イエスさま」を知ったばかりの時、私の中でそれはからし種サイズの一縷の望みだったことに・・。

「夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。」

その望みを抱きしめてみことばと共に暮らす中で、徐々に確信を深め、生ける神の言葉であるという経験を積ませてくださった。
そうしていつの間にか私の心の中に深く根を張り、枝を張っていのちを養うすべてとなっている。

 私の中の「良い地」とは、蒔かれたみことばを抱きしめた心。みことばの真理を求め続け、ただ主を知りたいと根を張って行った場所にあった神の国。
三十倍、六十倍、百倍という数字が何を表しているのかは、まだわからないけれど・・。

聞く耳のある者は聞きなさい。
また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。


みことばをどのように量るかに注意しなければならない。私が量るように神は私を量られる。おろそかに量ればそのように、それなりに量ればそれなりを受ける。
命がけで量ればキリストの十字架に拠るいのちを、今すぐにまるごと量り与えられ、決して暗闇で歯ぎしりするような結末はない。
そうして増し加えられるものは・・今は想像もできないいのちの冠。


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