石ころ

出発せよ ①(申命記1章)

 

申命記はモーセがいのちの終わりを前にして、イスラエルの民にこれまでのことを振り返りつつ主のみ教えを告げている。

 

これは、モーセがイスラエルのすべての民に告げたことばである。ヨルダンの川向こう、パランと、トフェル、ラバン、ハツェロテ、ディ・ザハブとの間の、スフに面したアラバの荒野でのことであった。
──ホレブからセイル山を経てカデシュ・バルネアに至る道のりは、十一日である──(1~2)

 

約束の地での備えとしてホレブではモーセを通して十戒を受けたが、シナイ山から、モーセが神の手に拠る石の板を受けて下りて来た時、待ちきれなかった民が偶像を作って祭りをしていたのだ。此処は約束の地まで目と鼻の先11日の距離にあった。

 

私たちの神、主はホレブで私たちに告げられた。「あなたがたはこの山に十分長くとどまった。
あなたがたは向きを変えて出発せよ。そしてアモリ人の山地に、またそのすべての近隣の者たちの地、すなわち、アラバ、山地、シェフェラ、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。(6~7)

 

「向きを変えて」とあるのは彼らの心が、みこころとは逆を向いていたことであり、信仰が後退していたことがわかる。
主は彼らに道に迷わないように明確な進路を示された。この道を進む限り万軍の主が、先に立ち、後になって守って居て下さるのである。

 

主に救われた者が何時までも同じ所に居ることは無い。それは迷いの中にあって信仰が後退しているのである。
救われた者は、共にいてくださるキリストのことばを聴きつつ、永遠の天に向かって前進する者である。たとえ病の床にあって動けなくても、その霊は主を経験し続けて歩む。

 

あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主があなたがたのために戦われる。エジプトで、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったのと同じように。
また荒野では、この場所に来るまでの全道中、あなたの神、主が、人が自分の子を抱くようにあなたを抱いてくださったのを、あなたがたは見ているのだ。(30~31)

 

神は信じる人と共にいてくださり、永遠をご存じのお導きは先だって備えをたまわり、ゴールの天には永遠の住まいが備えてられている。
従順する者の敵と戦ってくださるのは先立つ主であり、まことにみことばの御約束に在れば運んでくださるのである。

 

あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。(イザヤ48:4)

 

イスラエルの民の旅は目的地に向かって進むだけではなく、その道中もいのちの営みをしつつ人生を生きる旅であった。その旅は人や家畜が生まれまた死ぬという、世代交代が行われる道中であった。

 

主はあなたがたが宿営する場所を探すために、道中あなたがたの先に立って行き、夜は火の中、昼は雲の中にあって、あなたがたが行くべき道を示されるのだ。(33)

 

世では狼の中の羊のようであっても、先立つ神が安息の場であり、身を避けて弁護してくださる砦であり、夜も昼も導くみことばは足のともし火、道の光であって、確かな望みであり、罠からの守りをたまわっている。

 

キリスト者の人生は、永遠のいのちに向かうキリストとの道行である。生きて働くいのちのことばを経験して一方的な愛を味わうとき、感謝と喜びに満ちて従順し応答する者とされてゆく。

 

御救いに与った者は主を宣べ伝えつつ、今も世代交代を繰り返して携挙を待っている。主を礼拝する祭壇を、聖霊によって自分の霊のうちに設けて絶えず祈り、何時も喜び、一つひとつことに感謝の言葉を口にして、「主よ来てください」と御名を呼びつつ今日も前進しているのである。


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