石ころ

わたしは背負って救い出そう



 年寄りというものは、一瞬に体調ががらりと変わる。そんなことは、主人でも私自身も毎度経験しているけれど、今回はちょっと危なく感じた。

先日より、調子に乗って朝から晩まで草刈りだとか、何だかんだと畑に入り浸りで動き回っていた主人。
「歳を考えた方が良いよ。それに病気があることは事実なのだから・・」と言っても耳を貸そうとはしない。ブレーキが壊れるのも老いの故?

 そもそも癌騒ぎのときも主人自身はまったく気付かなかったのだ・・。私がなんか変だと異常に気付いて、掛かり付け医に検査を申し入れたことから癌が発見された。それほど自分の体調には鈍感なのである。
あまり神経質なのも面倒だと思うけれど、鈍感なのも家族にとっては恐いことである。
イエス様という避け所があるから、私は落ち着いて心配しすぎることなくいられるのだけれど・・。


 その、かなり疲労して食べられなくなくなった折も折、おばあさんが入院したという電話を受けた。私ひとりで行ける場所ではないので、主人の体調の方が心配な状態だったけれど、一緒に車で出掛けなければならなかった。

おばあさんは88歳、病気なんて知ったことかと意気軒昂で「もう帰るから・・」と、買っていったパジャマ等を「要らないから持って帰って」という。
所々筋の通らない話があるのに、しっかりしている所はとてもしっかりしていて、話を聞く気はなく自分の意志は変えないのだ・・。

おばあさんの病院に付き添ってくれた義妹は、そのような様子に一番疲れるという・・とても良くわかる。と、しばらく相談に乗ったり、愚痴を聞いて「家を継いだからといって、ひとりで負わなくてもいい」ことを伝える。
老人の世話でもっともケアが必要なのは、本人よりも周りの人の方である。老い方によっては嫌なものがむき出しになって、ほんとにわがままになることがあるから・・。


 でも、私は自分の中にもそのようなものを感じることがあって・・ひとごとではないのだ。主のお憐れみにすがるべく、夜中に布団の上でひれ伏すことがある。自分ではどうにもならない老いを抱えている。
誰もそのように老いたいとは思わないのに・・、長生きには辛さも残酷さもある。

主人は病院で手当を受けて少し食欲も出てきた。今は安静がどれほど大切かと説得を続けている。幸い今日は雨催いでホッとしているが・・、それでも畑に行ってしばらくもどらなかったなぁ・・。

主人の体は弱さを抱えているけれど魂は平安で言葉も優しく、7月13日に決まった洗礼式を穏やかに淡々と待って居る。
いつもイエス様に依り頼む者だから、実はそれだけで備えは万全なのだけれど・・。


あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ46:4)

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