まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12:24)
一粒の麦として地に蒔かれたとき、人は重い闇に閉じ込められ、身動き一つ出来なくなる。地は圧迫する力を持って締め上げ責めるから・・。自分では何も出来なくなって、ただ闇の中で、その環境の中でじっとうずくまる他ない・・。
その時出来ることはただひとつ、あらかじめ備えられたいのちに信頼することだけ。
重い闇の中で、その身動きも出来ない圧迫の中で、人手に拠らず新しいいのちは成長する。
以前の力は消耗させられなければならない。成長させるのは神のご計画。ただ、神のご計画によることだから・・、人はそれに何も加えてはならない。
夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。(マルコ4:27)
自分の持っている力だけのことなら、できるだけ頑張って大きな粒になり、そのまま食べられれば役割は終わるだろう・・。
しかしその実を消耗させるように、世の栄光を塵芥と捨てることを求められたとき、それは信仰が試されているのだけれど、それこそ神の良いご計画。
用いられるためには、50倍にも100倍にも増えることが求められるから・・、そのままでは役に立たないのだから・・、死のような闇に「アーメン」という者こそ神の栄光。
その時は突然で、望んでもいないのにある日その身に降りかかる。神の選びは常に突然であるから・・。
マリヤが、ガブリエルから受胎告知を受けた時のように・・、それが殉教の形、それは選びのしるし。
全能の神の子が磔にされ、御父に捨てられるまでの圧迫を受け、死を通って神のご計画を成就してくださったことを知っているのだから・・。
今、選ばれたあなたの従順によって、どうか神の御名が崇められるようにと切に祈りつつ・・。
「平安があるように」というイエスさまのみことばを静かに聞いて、闇にみことばの光をかざしつつ、神の御手に落ちた姿こそ勝利の芽生え。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)
コメント一覧
ムベ
ダイエット
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事