石ころ

塵の捧げもの



問題が発生して被害を受けそうであると感じたとき、それを主に祈った。
それでも思いわずらいが執拗にやって来て、私は気付かない間にもああでもない・・こうでもないと、自分を守る思いの中でひねくりまわしていた。

祈ったならそれは主の元にある。なのにまだ手元にあるかのように心を占められている。
それは主の元にあるのに、私の見ているものは何だろう・・。
祈った問題は全焼のいけにえになっている。それは燃え尽きて灰となる。灰の中から元の形を見つけることができるのか・・、できない。

私が振り回されていたものは、私の不信仰が生み出した幻である。サタンの脅しである。こんなものをいじくり回す愚かさと、この身のすべてをもう一度御前に捧げて祈った。
主は何度でも私を受け取ってくださる。私が塵にすぎないことを知っていてくださるから・・。

今まで自分の周りに守りの城壁を築いて生きてきた。主に出会ってもなをその城壁はそびえて主と隔てている。
自分を中心として築いた城壁を越えて、今日新たにあなたに飛び込みます。

主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。
あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます。(Ⅱサムエル22:30)


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