石ころ

荒野で産み出された民(民数記26章)

 

はじめに神が天と地を創造された。
地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。(創1:1~3)

 

神はことばをもって天と地を創造された。何も無い所に宇宙を産み出すお方である。
この天地創造の神はイスラエルの民を導いて、何も無い荒野に食物のマナを降らせ、岩から水を出させてイスラエルの民を養われた。

 


その数、戦闘能力のある男子だけで六十万一千七百三十人。レビ族の生後一か月以上の男子二万三千人と書いてある。彼らはすべて荒野で生まれた者である。

女性や老人や子どもを入れると、神が荒野で産み出し養われたその膨大な民への備えと、確かな約束の恵みに感動せずにはおれない。

 

確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。(創22:17)

 

みことばの約束にある確かな祝福は、同じ神の養いにあるキリスト者も、生きる心配から解放れて平安を得ることが出来ることに、主に出会わせてくださった身の幸いを噛みしめた。

 

みことばを聴いてキリストを救い主と受け入れた時に、いのちの救いはキリストの十字架によって完成している。救われるために従うのではなく、御救いに感動して主を喜び愛し、御交わりを求めて従順するのである。

 

救いの確信が揺らぐときはみことばに戻っては何度でも確認し、平安を得てみことばを経験するようになる。聖書から日々に目で確認して、口に出したみことばを耳で聴きいては「アーメン」と答えるとき聖霊はみことばを味合わせてくださる。その交わりの中で信仰は健やかに成長するのである。

 

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。(ヨハネ10:28)

 

ご真実なみことばの約束は何時でも確認することができる。誰に聞くことでもなく人の保証を求めることでもない。永遠のいのちの約束は神のプレセントであって、此処に安息するのである。

キリスト者の平安は都合の良い環境にあるものではなく、ただ、信じたみことばにある。それは嵐の舟の中にあり野獣の居る荒野にある。永遠のいのちの主が信仰者のうちにいてくださるからである。

 

キリスト者はこの世で完結する者ではなく、新しい天と新しい地において神と共に住むことによって完結する者である。みことばの約束を信じる根拠は聖書の歴史にあり、イスラエルを荒野で養われた主に拠って悟るのである。


天に国籍を持つキリスト者はみことばにすべての望みを置いて、世の格闘の中ででも不動の砦を備えており、世の初めから勝利が約束されている者である。

 

私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(黙21:3~4)


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