昨夜は、なぜか長男に対しての過ぎ去った日のことがあれこれと思い出されて、
「どうしてもっと丁寧な対応が出来なかったのか・・どうしてあの時もう少し細やかでなかったのか」と・・眠れなくなるほどの後悔にさらされた。過ぎ去ったことを悔やんでみても、その百分の一も取り戻すことなんかできないのに。
眠れずに悶々と寝返りを打ったり、電気を灯して床に座ったり・・、そんな時、
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。(マタイ10:37)
みことばを思い出した。
主は「平安があなた方にあるように」と命じられた。
私に平安が無くなるのは、主以上に息子を愛したからなんだ。身から出た子を愛することは、結局自分自身を愛することでもあって、主以上に自分自身を愛おしんでいるということでもある。
「主に服して平安を頂こう・・」そう思ったとき、いつの間にか眠りに落ちていた。
一読したとき、冷たくさえ思えたみことば。でもなんと奥深く温かい備えなのだろう。
本当に足りない私の愛。でも望みはある、主のご愛によって息子、娘も、自分自身さえも愛させて頂こう。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。(イザヤ49:15)
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