見出し画像

石ころ

土の器



主に用いられる器は何処にでも転がっていて、ありふれた、もろい素焼きの土の器と決まっている。
土の器が、人手によって上薬を掛けられ、磨き上げられたならもはや主には使えない。

土の器の喜びは、主に渇いて縮んでできたひびや欠け、そこからは主が満たされたいのちの水が溢れ出て近づく者を潤すから・・。

その器はありふれてはいるけれど、人のほめ言葉に渇いたのではなく、主に渇いていたことがすべての始まり・・。


私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(Ⅱコリント4:7)


燃えるくちびるも、心が悪いと、銀の上薬を塗った土の器のようだ。(箴言26:23)

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事