取りなしの祈りは難しい。異言の祈りならできるけれど、知性で祈る時はどの様な言葉もしっくりしなくて・・落ち着かなかった。
御子イエスさまの十字架のあがないを知って居ながら、主に向かって「なぜ」とつぶやくことには抵抗があるけれど、心を痛めておられる人を想うとき、自分の経験とも重なって、その痛みは心に重くのしかかる。
しかし、主はそのことを十分ご存じであった。たとえ罰せられた年々であっても、主はそれを回復してくださり、栄光を賜るのだと知ったとき、私はどのように取りなせば良いのか・・、祈れば良いのかを知り、望みを持って安息することができた。
シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。
打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。
いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。
あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。(ヨエル書2:23~26)
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