石ころ

土下座



 私への辛辣なつぶやきを聞き取ってしまった。こういう言葉はいったんは聞かなかったことにして置くのが私の常。
静かな夜に思い出し、きちんと事情の説明をしておく必要がある・・と、その前後の状況をいかに伝えるべきかと思い巡らせていると、その頃の悲しみや苦労が心一杯に膨らんできた。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」(テサロニケ5章)
みことばが来た!大声で「アーメン!」と返事をしたとたんに喜びが溢れた。
そうして、喜びの理由は後からやって来た。

主がすべてを知っていてくださる。
私のすべての罪や失敗は、すでに完全にあがなわれている。
主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(Ⅱコリント6:11)

主が弁護していてくださるのだから、私は言い訳をしたり自己弁護にあたふたする必要はない。正しく裁いていくださる方にこのままお任せしよう。
もし、必要なら主が備えてくださった時に、主に拠って準備された証をすることができるだろう。

神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31)
自身の後悔を掘り起こす必要さえない。神が今の私の味方なのだ。そのことは自分自身の良心にさえ責められないということである。

深い感謝だけが残った。
天の御国で主にお会いした時、私は喜びのゆえに・・泥のようになってひれ伏し礼拝するだろう。その姿を思い描いて幸せに浸っている。
世にどのようなことが起ころうとも、その日は必ず来るのだから。

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