石ころ

成長2


成長するためにほ乳瓶を捨てる事なら、要らないと気付けば簡単かも知れないけれど、無邪気な友や、母の懐は痛みを持って去らなければならない。まして、頼りにされて居ることに気付いていればもっと辛い。

それでも時が来れば、それらを後にして自立の道をひとりで行くべき。そうしないと成長しない。
「情に棹させば流される」というけれど、本当に情に流れて何時までも同じところに留まっていては、自分の仕事は果たせない。そんなことが「愛する」ということではないと思うから・・・

私を訪ねてくださった方がある。
祈りを依頼された。胸は痛む。
しかし、もう・・・共に居ることはない。


こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

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コメント一覧

石ころ
コメントをありがとうございます。

神の御子が、聖い御身に私たちの罪を負って、血潮を流して死んでくださったのです。

その御愛を受けるだけで、与えてくださったみことばを、もしいい加減に聞き流しているとしたら・・・これ以上申し訳ないことはないと思います。

もっと、渇いて主を知ることを求めたいのです。そんな中で、主が成長させてくださると思います。





「夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。」



こじゃり
 子供が成長していくのを、親が喜ぶように、私たちの信仰も、乳飲み子から硬い食物を食べれるように成長していくことを、主はよろこんで下さるのですね。

 主のみ救いに与った人たちは、神様にとって、みんな大切な子供たち。みんな一つの家族です。情けや義理や場所ではなく、主の十字架の下で一つですね。
石ころ
弱いから強い
私と比べものにならないくらい「みたよ」さんが弱いなら、あなたは私よりも強いよ。

イエス様の助けは弱さの中に現れるから。

平安があなたにあるように・・・
みたよ
見たよ
あなたは本当に強い。  心の強さは信仰心に比例していくのかな?  あなたに比べ物にならないくらい私は弱いから。 
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