成長するためにほ乳瓶を捨てる事なら、要らないと気付けば簡単かも知れないけれど、無邪気な友や、母の懐は痛みを持って去らなければならない。まして、頼りにされて居ることに気付いていればもっと辛い。
それでも時が来れば、それらを後にして自立の道をひとりで行くべき。そうしないと成長しない。
「情に棹させば流される」というけれど、本当に情に流れて何時までも同じところに留まっていては、自分の仕事は果たせない。そんなことが「愛する」ということではないと思うから・・・
私を訪ねてくださった方がある。
祈りを依頼された。胸は痛む。
しかし、もう・・・共に居ることはない。
こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
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