石ころ

純粋な霊の乳を慕い求めなさい(Ⅰペテロ2章)

 

あなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて(1)

 

これらは、対人関係において自己主張をする肉から噴き出す力であり、まともにぶつかって格闘しても勝利できるものではない。なぜなら肉を持って生きている限り、この罪の性質も生きているからである。たとえ自分の思いを押し殺しても、偽善で丸め込んでも、事実との間で心が分裂してしまうだけである。

 

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(2)

 

キリストによって与えられた救いは、乳を飲むことしか知らない子のように、聖霊によって開かれるみことばの約束、うちなるキリストの中に逃げ込むことである。
この世から思いを聖別するように、霊に於いて住む世界を隔てることで、心を偽る必要は無くなり平安の中に生きることが出来る。

 

キリスト者は世に固執する者ではなく、神に執り成して祈る者であり、すでに天の御国の約束の中に在ってその性質は天国人である。それは人が作り出す世界ではなく、みことばを日々食し、キリストによって養われ成長させられることである。

 

 私は霊柩車の助手席で声を殺して夫の写真に滝のような涙と鼻水を流した。何時も夫の車の助手席でしゃべり続けた道を通ったからである。ボロ車は私たちにはとても居心地の良い場所だったから・・。

 

運転手さんが「寒くないですか」と声をかけてくださった時「平気です」と答えただけで「ティッシュください」とさえ頼めず、教会で葬式のお礼を言う時も、主をほめることばしか出て来なかった。「でも、寂しいでしょ」と問う言葉にも首を振っていた。

 

イエスさまはそんな者に「素直であれ」とは命じられず、何時でもそのままに受け入れて、フッと笑わせてくださったり、願っていたものをそっと置いてくださったり、助け手を備えてくださった。

 

それはまるで、母親が幼子をあやして心を育てるみたいに、それは、それは繊細な慈しみの中で、忍耐強く時をかけ神の愛を教えてくださる。その度に「主は生きておられ、私のことを心配していてくださる」という感動に石のような心が甘く砕かれた。

 

あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。
主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。(3~4)

 

イエスさまに信頼してみことばにより頼み、その御愛にすべてをお委ねする中で、冷たい石の心が砕かれて小さくされ、みことばの約束の喜び深い感謝は積み重なって行く。

 

人はイエスを捨てて信ぜず十字架に掛けて殺した時、神のご計画は成就して、すべての人を救う願いのための備えを完成してくださった。
イエス・キリストは温かい血が流れる生ける石、神の愛が充満している生ける石であり、神は此処に救いを完成された。

 

あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。(5)

 

イエスさまが私の中ですべてとなり、石ころは見えなくなるほどに砕かれて、キリストの住まいの壁に塗りこめられる・・そんな風に仕える日があればなんと素敵なことだろう・・。

 

聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」(6)

 

イエス・キリストにお出会いしてからも長い戦いの日々もあったが、すべては主を経験するための材料であった。
みことばがどれほど真実であるかを体験して教わる時間だった。聖書に書き込まれている折々の祈りに対して、与えられたみことばがそれを証明している。

 

世に目を据えず、純粋な霊の乳みことばによって成長させられる時、主がすべてを益として養い育て、ご自分の霊の家に建て上げてくださる。それも御子の命を与えるほどの深い御愛をもって・・。


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