石ころ

聖別(レビ記11章)

 

あなたがたは、いかなる群がるものによっても、自分自身を忌むべきものとしてはならない。また、それによって身を汚し、それによって汚れてはならない。(43)

 

群れるのは世の習性であり、彼らの平安は群れの中にあるのだ。しかしそれは絶えず移り変わるものであって、定まる所を持ってはいない。世を支配するものによって操られているので、群れのあり様を論じることには意味がないのだ。

 

わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。あなたがたは、地の上を這ういかなる群がるものによっても、自分自身を汚してはならない。(44)

 

キリスト者は群れで主に繋がってはおらず、一人ひとりが聖霊の導きに拠って、みことばを通してキリストのうちに在り、また、キリストをうちに宿している存在である。
キリスト者はこの関係に唯一聖さが保たれており、聖き神に在ることで世からは聖別されている。

 

わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるからだ。あなたがたは聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。(45)

 

聖なる者とはただ、ただ、キリストによって養われている者で、世からの自由と、永遠の平安と、みこころを行う力に拠って生きる者である。

 

この時キリスト者は聖霊の働きによって、事さらな努力はなくても、みことばにより頼んで生きているのだ。

その計画が自分自身から出たことであるのか、キリストから出たことであるのかが、分からないほどに近しい関係にあって、キリストの花嫁は、キリストの聖さのうちに安らぐのである。


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