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石ころ

祈りつつ14年

 次男が月曜日の朝、出かけに突然「仕事で今日出る結果が恐いんだ、祈ってくれ」と言ってきた。こんなことを言われたのは初めてのことだ。よほど緊張しているのだろう。システムオペレーターというその職は、彼にとって1日としてのんびりと働ける場所ではないのだろうけれど・・。

私たちは祈り、彼の帰りを待った。上手く行けば早く帰れるだろう。やっかいなことになれば帰りは遅くなってしまうだろうと・・。ほとんど定時に帰宅した姿を見て、黙って食事の準備をしつつ、私は主に感謝をした。主が憐れんでくださったと・・。

 先日チラッと見た彼のメモの端に、誰かの字で「この職場にはめずらしく、あなたはお若いですね」という文字を見つけた。まあ、彼は若く見えるのだけれど、新入社員の時に配属された職場なので、この会社ではよくある例ではない事を知った。その後新入社員が入ってきたという話も聞いたことはなかった。

なぜ、このようなところに置かれたのか・・?「主が置かれた」としか言いようがなかった。主が導かれたのならこれがベストなのだと思う。彼にはしんどいことだろうけれど、そのしんどさの中に居るから、主を忘れ去ることはできない。主に祈らなければやってはいけず、1日、1日イエスさまを頼りとして生きるという信仰が守られているのだろう。

1日としてのんびりと出来ないところとは、実は完全な守りの中に主によって守られているという事なのだろう。大きな会社であっても会社が守るのではなく、しっかりとした労働組合が守るのでもない。キリスト者の守りは、心許ない身の上にどんな時も共に居てくださり、永遠の知恵を持って導いてくださる主によって守られているのだ。


何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6~7)

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