私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。(12~13)
天変地異は創造主なる神の裁きに拠るもの。
「はじめに神が天と地を創造された」分厚い聖書の書き出しである。聖書の神は天地創造の主であり、見えるものも、見えないものもすべて神の作品であり、それゆえ、私たちはすべての権威をもっておられる、神のことばに聞き従うのである。
神は人を祝福して、地にあるものすべてを造られた。それを支配して治めさせるためである。ご自分に似たものとして造り、神の愛の中に生きるようにされた。
地にアダムが置かれた時それらすべては「非常に良かった」、彼が神の言葉を軽んじるまでは死は無かったのだ。
天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。(14)
第六の封印が解かれると、天地が取り去られるかのように崩壊がはじまった。
この天地は神によって造られ、それらの作品の場所も形も神によって保たれていたのであり、また、神によって取り去られもする。
空間も立体も平面もその作者である創造主には、それらを紙のように巻き取ることは、それほど驚くことでもない。
地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、
山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。(15~17)
この世のあらゆる権威も、すべての建造物も財産も、頑健な肉体も、天変地異の恐怖から逃れることはない。それはとても平等に降りかかって来る。
逃れる道がただ一つ、神の臨在される遥かな天に開かれているだけである。すべての人のために十字架にかかられた、キリストの赦しを信じて、時の間に合えば良いのだけれど・・。
ヨハネにこの未来を見せられた神は、キリストを通して逃れの道を備え、今という時を与えて恐怖の時から救われるように導いておられる。
この時、この出来事が神の怒りであることを人々は知る。その大きな恐怖から逃れるために、山や岩の下敷きになって死ぬことを求め哀願したが、逃れとしての死も神の支配の下にあり、死さえも許されない時が来ると書かれている。