見出し画像

石ころ

火曜日の交わりのために (役人の息子の癒し)

 どこから来たのか分からないということが、神秘性を演出する場合には必要です。
何処で生まれて、どんな人が親であるか知っており、私たちと一緒に大きくなったと言う場合「その人の事は何もかも知っている。」と人は思うのです。
それほどにイエスさまは完全な人になって下さり、人の病も弱さも食べて行く苦労も、隣近所の人々・・そう、私たちと同じように経験してくださったのです。

でも、そのことで、故郷の人々にはイエスさまを、救い主である神の御子と信じることが難しくなりました。
神のわざをなさる神の御子イエスを知っているのか、人の弱さを担われた人の子イエスを知っているのか・・私たちがその両方を知ることが出来る事は本当に幸いです。

この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」(ヨハネ3:2)

イエスさまを否定するパリサイ人であっても、ニコデモという人はイエスさまが神の子であることを、わざによって知ることができました。
イエスさまが、パリサイ人達に願っておられることはこのような出会いでしょう。彼は、弟子たちにはできないイエスさまを葬る役割を果たしました。

 王室の役人が息子の病気を癒して下さいと願いにやってきました。
彼は息子のいやしの計画を持ってやって来ました。
「イエスさまが急いで家に来て、息子に手を置いて病気を癒して下さる。」という・・そして、息子が元気になるそのわざを彼が目の前で見るという計画でした。

しかし、イエスさまの「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」そのおことばは彼の計画を否定しました。
イエスさまの答えは「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」でした。役人が頂いたのはみことばだけでした。

彼には王室の役人としてのそれなりの力も権威もあったでしょう。力尽くでイエスさまを引っ張って行くことが出来る立場だったと思いますが、彼はお言葉だけを頂いて帰って行きます。

このことが「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」と言われた言葉に対しての彼の答えです。
彼は、まだ何も目の前で見ては居なかったのです。それも大事な息子のいのちがかかっていることなのに、みことばだけを頼りにして帰って行きました。

 私たちも聖書のことばを頼りに生きています。まだ見ては居なくても、まだ問題の最中にあっても「平安があるように」というみことばによって平安を得るのです。
みことばが永遠のいのちを約束しているから、見てもいない未来を、そのことばに託して御国への望みを抱いています。

その時、イエスさまのことばは私たちに事実となります。そのわざによって私たちは、イエスさまを神の御子と感謝にあふれて礼拝します。
ありふれた日常の中で、みことばが生きて働く神の言葉であることを、家族ぐるみで経験させてくださり、その積み重ねによっていよいよ主を喜ぶ礼拝を導いて下さいます。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
賛美
ああ・・永遠の中で・・
主にお会いしたときに、どのようなお言葉を私たちは聞くのでしょう!
一体何をお話しすればいいのでしょう!

美しい声を頂いて、霊の賛美がどめどなくあふれるのでしょうか!
主を賛美し続ける多くの歌声に合わせて・・
おほほ・・。
保護者
まあ、なんて可愛らしいんでしょう!
彼女もイエス様の前では純粋な一人の乙女ですね。

私達が主を愛すると、主の方がもっと大きな愛で私達を愛して下さっていると分かる。
すると私達はもっと強く主を愛したくなって、主はもっともっと・・・。 愛の上昇気流。

その循環が「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれ程であるかを理解し・・」
満たされるようになるのですね~。
パウロも祈ってくれています。(エペソ3-16~)

見える世の事柄に影響されない 不思議な不思議なキリストの平安の中で、愛の交わりを続けられるなんて何という幸いでしょう!
しかも永遠に・・。おほほ・・。
石ころ
保護者さんへ
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)

今日も交わりの中で、主に賜った平安の喜びを語っておられました。
本当に、世が見たことも聞いたこともない平安に、嬉しい驚きが尽きないのでしょう。

「あなたのその喜びを、イエスさまも喜んで居て下さいますよ。」と話すと
「イエスさまも喜んでいてくださるってことがよく分かっているよ。」ですって!
石ころ
保護者さんへ
「アーメン」
みことばは経験するものであり、みことばによって生きるものなのですね。
そうして、みことばによって驚喜して死んで行きたいです。
保護者
主の御前に静かに座して、御言葉に私の心を合わせ 素直に単純に御言葉を信じて生きたいと思います。
主の懐に抱かれている安心と信頼が、弱い私を強めてくれます。
「家族ぐるみで」っていいですね。

「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者達に準備された」Ⅰコリント2-9
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事